16回目聖徳太子像富士登山
江戸時代の富士山信仰を再現

去る8月3日、16回目になる浄土真宗本願寺派如来寺(山梨県富士吉田市、渡辺英道住職)の「聖徳太子像富士登山」が12人の門徒らで行われた。如来寺にある「聖徳太子騎馬銅像」を富士山八合目まで運び上げ、山小屋・太子館横の広場に仮の荘厳壇(しょうごんだん)を設け、江戸時代の富士講のような一座法要を執り行う仏事で、2009年に郷土史家の提案を受け檀家や関係者などの協力で復活させた。途中、コロナ禍で登山が禁止になった年を除き、毎年実施している。
一行は午前5時半から如来寺本堂で朝のお勤めをし、マイクロバスで富士山五合目に行き、そろいの法被をまとい、金剛杖を手に富士吉田口から登った。かつては聖徳太子騎馬銅像を三つに分解し、若手が担ぎ上げていたが、最近は聖徳太子像だけにしている。
11時頃、一行は八合目に着き、正午から法要。渡辺大智副住職を大導師に一同で「太子奉讃」を読経し、それぞれ焼香して、厳粛に法要を営んだ。京都から来たという若者が飛び入りで参加し、外国人登山者たちも珍しそ
うに様子を見守っていた。
その後、太子館で昼食、休憩の後、午後1時半から下山。6時頃、如来寺に帰り、婦人会が用意したカレーを囲み、懇談した。今年の参加者最高齢は81歳の三枝稔さんで10回目。79歳の外川太一さんは昨年、膠原病で3か月の車いす生活からリハビリに励み、体力の回復を試そうと参加。女性は2人で、13回目の鈴木文代さん(73)は日本百名山と山梨百名山を踏破した山ガール。高齢者にとって毎年の富士登山は健康長寿のバロメーターで、来年の再会を約し合っていた。
富士山は2013年に「信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産に登録された。今は観光登山が大半だが、富士登山の始まりは信仰である。富士山に代表される日本の霊峰は、古代から聖性を求める人々の信仰の対象とされてきた。
如来寺の近くにある新倉(あらくら)富士浅間神社は、文武天皇の705年に、甲斐国八代郡荒倉郷へ富士北口郷の氏神として祀られたのが始まり。平城天皇の807年に富士山の大噴火に際し、朝廷からの勅使(ちょくし)により鎮火祭が斎行された時、「三國第一山」の称号と御親筆を賜った。富士山周りに浅間神社は幾つかあるが、拝殿が富士山の真向かいにあるのは同社だけである。

浄土真宗の宗祖親鸞は、仏教受容に決定的な役割を果たした聖徳太子を「和国の教主」と呼び崇敬していた。親鸞は百日参籠をしていた京都の六角堂で、「前世からの報いで女性を妻とすることがあっても、私が玉のような女性になって添い遂げ、生涯、身の回りを護り、臨終には導いて極楽へ生まれさせよう」という聖徳太子の夢告を受けた。専修念仏を説く法然の教えに共感していた親鸞は、比叡山には帰らず、吉水の法然の庵を訪ね、弟子となったのである。
「甲斐の黒駒伝説」は、聖徳太子が甲斐の黒駒に乗って富士山頂まで飛び、八合目に下りてきたというもの。如来寺には、それに倣って作られた太子の騎馬像が江戸・新宿の富士講から寄進され、山が開かれている間、八合目にある寺の祠に安置され、登山者に拝まれていた。同様の祠は各合目にあり、山頂が仏教の聖地とされた富士山はまさに神仏習合の山であったが、明治初めの廃仏毀釈で廃止されてしまった。聖徳太子像富士登山は富士山信仰を今に生かす行事と言えよう。


