ICRF懇談会 「平和教育を問い直す」
全ての宗教が目指す「人格」の形成と平和
宗教の自由を守る活動を展開する「国際宗教自由連合」(ICRF、東和空委員長)は先月4日、「平和教育について問い直す」をテーマに都内で懇談会を開催した(本紙後援)。今年3月に起きた沖縄・辺野古での転覆事故をめぐり、平和教育のあり方が問題になっているが、この日参加した宗教者や学者からは、平和にふさわしい人格の形成などが提言された。
広島原爆忌に見る「自由」
最初に東和空委員長(聴行庵住職)が発題した。広島市在住の東委員長は、まず広島原爆忌の近年の状況を紹介した。
毎年開催される原爆の日の式典は、犠牲者を追悼、慰霊し、世界各国の要人と平和を祈り、核兵器の廃絶を願うという主旨で行われている。しかし、一部の左派と言われる人たちが未明から原爆ドームの周囲を占拠し、早朝から拡声器で自らの主張を繰り返すということが長年続いてきた。これに対して、地元の人たちは正面からぶつかり合うのではなく、慰霊のための静かな時間を求めるという活動を7年前から行っている。
4年前には、式典を静かに行えるようにするための条例が制定されたが、一方で3年前には、デモをしていた数十人が市の職員に体当たりして怪我をさせる事件が起きた。これにより5人が逮捕され、有罪判決が出された。
東委員長は、「今年は、ある意味で仕切り直しの年と行政も考えている。その時、『表現の自由』と、新たに『信教の自由』が重要な論点になる」と述べた。ここで言う「信教の自由」とは、遺族が静かに祈りを捧げることができる自由という意味で、そこに左派の人たちは「表現の自由」を重ねている。東委員長は「どちらが優先されるかは、おそらく行政は説明できない。それは私たち宗教家の役割ではないか」と指摘した。

宗教に共通する「公共心」
その上で、教育の重要性に言及した。「教育基本法の第一条に『教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない』とある。まさに自由と平和、そして自分事として責任を引き受ける人を育てるということだと思う。学校教育はもちろん、全ての教育の基がここにある」と強調した。
そして、宗教と平和について、以下のように続けた。
「他の宗教の人たちと交流しながら、全ての宗教が目指すところ、共通点を探していくと『人格』に行き着く。人格をどのように形成していくか。そこにいるのが神様でも、仏様でもいい。大いなる存在であってもいい。共通しているのは『公共心』である。自分さえよければというのではなく、公共の場に出ていって、そこで話が通るか通らないか。ここを宗教は非常に繊細に作り上げてきた。歴史、あるいは眼に見えなくてもご先祖と繋がっていたり、科学の世界でもDNAで繋がりが分かるようになっている。そういう点では、私たちは生まれながらに公共心を持っているはずである。今こそ、各々の宗教の教えに照らし合わせて、自由と平和に広がりを持たせることが私たちの責務ではないか。そうすると本当に政教分離ができると思う。争いを鎮めて和解していく時のアイデアであったり、知恵を出して貢献できるのではないか」。その上で「人格の形成と平和というテーマで集約して、現実に平和に近づいていければと思う」と述べた。
平和教育は人格成長から始まる
続いて、東委員長の発題を受けて、二つの発表があった。
松田幸士・世界平和連合副会長は、沖縄県辺野古での転覆事故について「平和学習と政治運動の境界があいまいだった」点を指摘した。
これまで主に左派勢力が進めてきた平和教育は、戦争反対を強調する一方、日本への誇りを弱める歴史観を持ち、現実の脅威や抑止力を軽視し、反基地、反安保運動と教育活動が接近していた。
これらの問題を改善していくために、政治的な中立性を明確に守り、賛否双方の多様な意見を聞くことや、戦争の悲惨さを伝える場合は同時に安全保障の現実を教える必要があると述べた。
その上で、「平和は単に反戦を叫ぶだけのものではない。目指すべき真の平和教育とは、『私の人格成長から始まる』ということが重要なポイントだと思う。家庭、地域、国家、世界を愛し、他者のために生きる喜びを体験する。また、自由、信仰、人権を守るための国防、抑止力の必要性を理解してもらえるようにする。そして平和は作り出していくものという視点から、宗教的情操教育など、人間として本当に必要なポイントを教える教育を推進していく必要があるのではないか」と強調した。
平和の源泉としての宗教
小笠原員利・UPF─JAPAN学術政策局長は、ガルトゥングが提唱した平和学について最初に触れた。
平和学では、平和というのは単に戦争がない状態を表すのではないと定義され、人間の基本的ニーズが満たされないという構造的な問題を解決するアプローチが提起されるなどしてきた。90年代以降は宗教の役割、内面的な世界への取り組みが強調され、2010年代以降は内面的な取り組みと構造的な改革の両面が必要だという統合的なアプローチも主張されるようになったという。
また、宗教と平和を論じたアップルビーに言及し、「彼は平和の源泉としての宗教の本質を次のように語っている。一つは恨みや負の感情に対して、内面の回復力と苦しみを意味づけし、和解を促進する原理的な枠組みを促進する。もう一つは、憎しみを抱く者同士を人間として結びつけていく。そのためにゆるしと和解を軸とした非暴力の聖戦を行う。そういう動機を与えてくれるのも宗教であると説いた。さらに、超越的なものに遭遇して、自己中心的な自我を解体し、他者を敵としてではなく、同じ神、あるいは真理の元にある尊厳ある存在として捉え直す。つまり、エゴの解体、より大いなる存在のもとに一つに結ばれていく。その感覚を提供してくれるのが宗教であると説いている」と紹介した。
そして、「平和を作り出し、人を育てるということが平和教育の一番の目的であって、その意味では、心情や感性、人格を整えていくことが重要になる」と語り、仏壇や神棚に手を合わせて謙遜な気持ちで先祖に想いを馳せたり、家族の団欒、自然との一体感を通して、祈りを捧げ、自ら献身的に奉仕できるようになるのではないかとして、「大いなる存在と向き合い、心と体を一つにするところに平和があるのではないか」と述べた。
この後、発表を受けて、参加者による議論が行われた。


