マサチューセッツ湾岸植民地の政治と教会制度
連載・信仰の自由とキリスト教共同体の形成(4)
本紙前代表 石丸志信
政治組織
「あなたがたは世の光です。丘の上にある町は夜になると灯がともり、だれにもよく見えるようになります。あなたがたの光を隠してはいけません。すべての人のために輝かせなさい。だれにも見えるように、あなたがたの良い行いを輝かせなさい。そうすれば、人々がそれを見て、天におられるあなたがたの父を、ほめたたえるようになるのです」(マタイ福音書5:14─16 リビングバイブル)。
マサチューセッツ湾岸植民地の監督ジョン・ウィンスロップは、イエスがガリラヤ湖畔の丘の上で語られた説教に示された「丘の上の町」を理想に掲げ、まだ汚れない新天地で純粋な信仰共同体を形成することに挑戦した。その試みは、イギリス本国に向けた希望の光を放つものとなるはずだった。
当初は、国王の許可書を得て渡った会社組織であったが、入植後に、会社役員組織から植民地における自治組織へと変容させることで、理想の共同体づくりに本格的に着手することができた。植民地での政治の実権は、執政官と呼ばれる総督、副総督、参事員が掌握し、そのもとに公民が置かれ、彼らには参事員の選挙権が与えられた。総督、副総督は、本国のエリート層が占め、公民の選挙で選出されるものではなかった。
公民は家長である成年男子がその対象になるが、当初は教会で厳格な審査を経て教会員になった者のみに許可された。彼らは、宗教的ビジョンをもつ指導者を支える立場で政治参加をゆるされることになる。
ウィンスロップらが構想した植民地の政治体制は、中世的身分社会を前提としながら、社会の構成員がそれぞれの役割を完遂し、全体のために貢献することを期待するものであった。それは、「この地上で『目に見える聖者』が司る理想社会」(大西直樹著 『ニューイングランドの宗教と政治』 彩流社 1997 P・22)の実現を目指した「神政政治」体制だったと言える。
教会制度
マサチューセッツ湾岸植民地の入植者は当初、ほとんどが信仰においては、会衆派のピューリタンの立場に立っていた。彼らは入植後にそれぞれ教会を設立していった。しかし、その中には不適切な手続きによるものが見いだされ、混乱が生じた。そこで、教会設立には、執政官と近隣の教会に通達し許可がなければ総議会が容認しないということになった。
こうして設立が許された各地の教会は、代表牧師が一堂に会する大会を開催し、植民地が直面する宗教問題を討議した。これを契機に、その後、総議会が招集して年次的に教会会議が開催されるようになる。本国国教会の在り方を非難し新天地に乗り出した者たちだったはずだが、皮肉にも植民地では、自治政府のもとに教会が置かれた形となった。
教会は、ピューリタンの信仰の純粋性を保つため、構成員たる教会員の入会資格が厳格化された。彼らは、人が不信仰の状態から回心を経験し、救いの恩寵を受けるに至るなら、それを教会の会衆の前に信仰告白として表明することが求められた。それが入会資格審査として設定された。こうした審査を通過できたものが正式の教会員資格を得て、信仰共同体の構成員となり、公民として政治参加が許されることになった。
ニューイングランド方式
マサチューセッツ湾岸植民地においては、出発当初は、内面の信仰体験を言語化し、共通の宗教的理念を共有するものが政治組織を構成する社会を目指した。ウィンスロップの盟友でありボストン第一教会牧師のジョン・コットンが示した理念に基づき築こうとした社会は、実のところ「同質的閉鎖的な共同体」であった。これがニューイングランド方式と呼ばれることになる
未開の地に渡った者たちの理想とする共同体形成は始まったばかりだった。まだ、今日のような信仰の自由を尊重し、政治の宗教への介入を避けるための政教分離を謳う民主主義形態の共同体には程遠い状況だった。
(2026年8月10日付 838号)


