暁の祭典・浜降祭/茅ヶ崎海岸

海水の霊力で心身清める

玉串を奉って拝礼する石腰亮・寒川神社宮司(前列右)

 暁の祭典・浜降祭(茅ヶ崎海岸浜降祭実行委員会主催)が海の日の7月20日、神奈川県茅ヶ崎市の西浜海岸で盛大に斎行された。石腰亮・寒川神社宮司が斎主を務め、寒川町と茅ヶ崎市に鎮座する34社から38基の神輿が出御した。朝から強い日差しが照りつける中、国内外から多くの見物客が訪れ、会場は熱気に包まれた。
 「浜降り」とは海辺での禊(みそぎ)を意味し、海水の霊力によって心身を清め、神霊の更新を図り、新たな御神威を授かる神事。浜降祭は神奈川県の無形民俗文化財に指定されている。
 威勢のいい男衆に担がれた各神社の神輿は勇ましい「どっこい、どっこい」という掛け声とともに、竹の鳥居をくぐり抜け、幟とともに祭場へ着御した。午前6時45分には、38基の神輿が整然と一列に並び、祭典開始を待った。
 7時になり、斎主・祭員が奏楽のなか参進した。修祓、祓い詞奏上ののち、祭員がすべての神輿と氏子らを大麻で祓い清めた。次に献饌。寒川神社の神輿を最初に、すべての神輿に御神酒、海・山の幸が供えられた。続いて、斎主が祝詞を奏上。斎主・石腰宮司が玉串を奉って拝礼し、寒川神社第10代御旅所神主・鈴木孫七氏、寒川神社責任役員、茅ヶ崎海岸浜降祭実行委員会役員、各神社代表、佐藤光茅ヶ崎市長、木村俊雄寒川町長、河野太郎衆議院議員、星野剛士衆議院議員らが続いて玉串を奉奠した。
 祭典終了後、石腰宮司は「皆様のご健康、繁栄、安全を祈願した。また、大勢の皆様にご参席いただき、盛大な祭りとなったことを嬉しく思う。祭りが終わるとそれぞれの神輿は帰途に向かう。皆様のご無事を願う」と感謝を述べた。亀井信幸・浜降祭実行委員長は「暁の祭典・浜降祭の当日を無事に迎えることができたのも、寒川神社をはじめとする各神社への篤い信仰心、伝統のお祭りに対する深い郷土愛と情熱の賜物である。この祭典が未来永劫、湘南を代表する歴史的信仰遺産として、また我々の心の拠り所の神事として受け継がれることを祈念する」と話した。
 祭典が終わると、38基の神輿は順次、再び威勢よく練り歩き、「どっこい、どっこい」という掛け声とともに海に入って禊を行った。その後、神輿は力強く各神社へ還幸した。
 ニュージーランドから来たという男性は「今日は暑い日だが、日本の文化に感銘を受け、心に響いた」と話した。米国から来た男性は「とても楽しく、エキサイティングな祭りで、クールだ。米国にある祭りとは全く違う、生きた歴史だ」と語った。また、神輿渡御の手伝いをしていた女性は「神様が集まると神聖な気持ちになる。心をあらためて、また頑張ろうという気持ちになった」と話していた。

海に入り、禊を行う神輿


 浜降祭は江戸時代にはすでに行われていたとみられ、その由来には諸説ある。代表的な伝承の一つによると、天保9年(1838)5月5日、國府祭に出た寒川神社の神輿が帰途、馬入の渡し場(現平塚市)で地元の氏子らとの争いに巻き込まれ、大雨で増水した相模川に転落し、相模湾まで流されたと伝えられている。寒川神社が湘南海岸の村々に捜索を依頼した。その後、南湖の浜で地引網を曳いていた網元の鈴木孫七が海中に沈んだ神輿を発見し、神輿は寒川神社に戻った。この功績により寒川神社の禊場も孫七の漁場である南湖の浜へ移され、同地に寒川神社の神輿が渡御するのが慣例となり、鈴木家は寒川神社御旅所神主に任命された。以後、鈴木家は代々「鈴木孫七」を名乗って御旅所神主を務め、現在は10代目になる。