竹生島に眠る浅井姫の謎
連載・京都宗教散歩(44)
ジャーナリスト 竹谷文男

「古い伝えの竹生島 仏の御手にいだかれて 眠れ乙女子やすらけく」─滋賀県民に愛されている「琵琶湖周航歌」の歌詞の一節である。亡くなった乙女を悼んで、仏に癒やしを願ったその話のもとは、『近江風土記逸文』にある。悲劇の女性は浅井姫という。
湖北の東岸地方には昔、姉の夷服(いぶき)丘と妹の浅井丘とが背比べをしたが、妹は一晩のうちに背を伸ばしたという。腹を立てた姉は妹を攻めて斬り殺し、切られた首は琵琶湖に投げ込まれて島になった、あるいは島に埋められたという。島は「血首(ちくび)島」と呼ばれ、後に竹生島と名を変え、その竹生島神社は浅井姫を祭神として祀っている。
戦国時代に起きた「姉川の合戦」では、徳川と組んだ織田信長が、朝倉と組んだ浅井長政を破った。姉川は、東から伊吹山の南を流れて琵琶湖に西に注ぎ込む。その支流・高時川は、北の方から伊吹山の西を南に流れて、姉川に合流する。高時川は「妹川」とも呼ばれる。この〝姉妹〟の川はいずれも豊かな水を集めるが、水の恵みと共に治水に苦労する川だった。古代、伊吹山のふもとで二つの氏族が争い、その時起きた悲劇が浅井姫伝説になったのだろうか。
では、浅井姫とは誰か、その事件はいつ起きたのか︱出雲神話のころか、卑弥呼か神功皇后のころか、あるいは雄略天皇よりも後だろうか?
琵琶湖の北の果てにある矢合(やあい)神社(滋賀県西浅井町岩熊)は、追い詰められた浅井姫が、最期の〝防ぎ矢〟を射たが斬られたという伝承を残している。神社の祭神は「葦那陀迦神(あしなだかのかみ)」、葦が高く繁るところの神との意味だ。また虎御前山(長浜市)のふもとにある矢合神社(長浜市中野町)の祭神もまた葦那陀迦神であり、その近くの岩上神社の祭神は浅井姫である。浅井姫と葦那陀迦神とは同一人物だろうか。
葦那陀迦神は『古事記』に書かれていて、大国主の孫に嫁いだ妃で、別名を八河江比売(やがわえひめ)と言う。詳しくは大国主の一人の妃が鳥取神(ととりのかみ)で、その子が鳥鳴海神(とりなるみのかみ)、さらにその子が国忍富神(くにおしとみのかみ)で、その妃が葦那陀迦神だった。
葦那陀迦神の別名である八河江比売は、多くの河、特に河口を示す。たくさんの河が琵琶湖に注ぎこみ、背の高い葦が河口に繁る景観は、浅井姫のいた湖北東岸の景観でもあった。葦の茎には湖水の鉄分が付着して鉄団塊となり、古代の製鉄の原料だった。

さらに『古事記』には、葦那陀迦神の母以下17世の系図が「十七世の神」として特記されている。つまり、葦那陀迦神の子から数えるとそれは「十五世の神」となり、特記される名族だった。
この地方の伝承としては他に「虎御前伝説」がある。昔、虎御前、あるいは虎姫と呼ばれた美しい女性がいて、水運で財をなした長者に見そめられて結婚したが、顔が人である15匹の小さな蛇を産み、恥じて淵に身を投げた。夫は残された子供たちを大切に育てたところ、立派な人間の大人に成長したという。
最期の防ぎ矢を放ちながらも敗北者として貶められ、斬られた浅井姫は、神として竹生島に祀られた。浅井姫が大国主の孫の嫁である葦那陀迦神だったことを知らせるために、最期に浅井姫が防ぎ矢を放った地の神社は葦那陀迦神を祀ったのだろうか。また、『古事記』に葦那陀迦神の子孫15世が特記されていることに掛けて、浅井姫に仮託された虎姫は15人の蛇子を生んで、しかも立派に育った伝説ができたのだろうか。
能の演目「竹生島」で巫女は、「竹生島の神は女人を守る」と告げて弁天堂に姿を消した。島に祀られた浅井姫はその後、弁財天と習合し、篤く崇敬されている。
「眠れ乙女子 やすらけく」──これが竹生島信仰の深層に流れる情念だろうか。
(2026年7月10日付 837号)


