平和をつくる人とは?

愛されるよりも愛する人に
山村雅治さん(詩人、松山庵庵主)に聞く


 高級住宅街が広がる兵庫県芦屋市に2016年8月末まで30年間、クラシックコンサートや講演会など文化活動の場「山村サロン」があった。サロンを企画・運営したのが芦屋生まれの詩人・山村雅治さん。西宮市在住の作家・小田実(まこと)と懇意になり、阪神・淡路大震災で被災者への公的支援を求める市民立法の活動に携わった。今年2月、芦屋神社で「平和をつくる人」と題し講演した山村さんの思想と活動を探る。(多田則明)

山村雅治さん


 
市民の宗教論
 山村サロンがあったのはJR芦屋駅前のラポルテ本館3階。多目的レンタルホールとして、能舞台様式を取り入れた松の鏡板のステージにハンブルグ製のスタインウェイと天板装飾が美しいチェンバロを保有し、ヨーロッパ調のラウンジと和室を併設。邦楽、洋楽のソロリサイタル、ジャズコンサートやピアノ発表会などに利用されてきた。大学卒業後、1986年に同サロンを開いたのが詩人の山村雅治さんだ。
 山村さんの開館の言葉は「芦屋は戦前から文人や画家、音楽家、写真家など芸術家が住む街だった。関東大震災から逃れて谷崎潤一郎がいたし、彼の小説の挿絵も描いた小出楢重もいた。作曲家で指揮者の夭折した貴志康一、写真家では中山岩太がいた。戦後では具体美術を率いた吉原治良がいた。山村サロンは…母の『芦屋に能舞台を』と、私の『芦屋に音楽会場を』の二つの念願を実現させた多目的な広間になった」(山村サロンホームページ)で、「母は日本文化、私は西洋文化で和洋折衷のサロンになりました」と笑う。
 1995年の阪神・淡路大震災でサロンは半壊し、しばらく客足が途絶えたが、3カ月ほどたつと、多くの人が戻りサロンがあふれかえったという。山村さんは「被災者らもある程度落ち着き、癒やしを求めて音楽や演劇を楽しみにきてくれた」と振り返る。
 その後、山村さんはサロンを拠点に、小田実とともに自然災害被災者への公的支援を求める市民運動を展開し、与野党の賛同を得て1998年、議員立法による「被災者生活再建支援法」に結実させた。
 文化サロンの運営から市民運動へ、鍵になったのは小田実との出会い。山村さんの著書『宗教的人間』の帯に小田は「これは、ひとりの市民の宗教論である。ひとりの、どこにでもいる、どこにでも生きている、しかし、あくまで自分の足で立って、自分で考える、そこにおいて誰よりも『市民』である市民の宗教論である。そうであることによって、この宗教論は、人間の精神の深いところで宗教をとらえている。宗教をこえてさえいる。」との言葉を寄せている。

「人はみな対等」
 サロンを開いたのは商業化した文化を市民の手に取り戻すため。山村さん好みの音楽家や文学者を招き、その意味と感動を周りに発信する。「個人から始まるのが大切」というのは市民立法と同じである。
 高校生の頃から詩を書き、卒論は近世イングランドの詩人ジョン・ダンだった山村さんは、還暦になって初の詩集を出した。20歳のときの詩が月刊『現代詩手帖』に掲載されたとき、目次で谷川俊太郎と並び新人とは思えない扱いだった。とはいうものの詩は原稿料が入らないので、いけばな小原流の雑誌など原稿料が入る詩を書いてきた。
 「人はみな対等で、そういう場でしか健全な文化は生まれない」というサロンの思想について書いた『マリア・ユージナがいた』を送ったのがきっかけで小田実と懇意になり、小田はサロンで文学講座を開くようになった。マリア・ユージナはロシアのユダヤ系女性ピアニストで、反体制言動のため弾圧された伝説的人物。
 「ベ平連」創設者の一人だった小田は当時、左翼文化人と見られていたが、小田によると「私について新ら手の『右翼』が出て来たと思っていたと彼ら(左翼)に言われておどろいた。」と書いている(『小田実評論撰』)。本人は市民を自任し、日本を深く愛する人で、一人ひとりを大切にする市民活動をしていた。

 心の中にアッシジの聖フランシスコ
 小田はサロンのゲストに中村真一郎や久野収、日高六郎らを招いて話をさせ、喫茶室で加藤周一を山村さんに紹介した。一世代上の文化人との出会いで、山村さんは「無言のうちに小田からバトンを手渡されるように感じた」と言う。
 阪神大震災に遭遇し、小田が被災者を救う法律を皆で作ろうと提唱して「市民=議員立法実現推進本部」の代表になり、山村さんは事務局長に就いた。サロンから市民活動への流れは自然だったという。「私の心の中にはずっとアッシジの聖フランシスコがいました。彼は壊れた教会を建て直そうと石を積み始め、そのうち仲間が集まってきた。市民立法もそれと同じことです」。山村さんはそれが「平和をつくる人」だと言う。
 市民立法の活動で印象的な小田の言葉は「人間の国」だ。朝日新聞1996年1月17日夕刊の論説「被災地の存在かすむ」で、「戦後五十年の日本は『経済大国』を形成したかも知れないが、ついに『人間の国』をつくり出して来なかった」と述べている。
 朝日新聞1996年7月12日号のコラム「素粒子」が「震災被災者の公的援助を求める『市民立法』は、被災者自身による歴史の創造である」と書いたのは、山村さんの投書を受けてのこと。地道な活動によりメディアも被災者に心を寄せるようになった。

世代を超える思想
 著書の『宗教的人間』はある教団の幹部になった幼馴染の女性に、山村さんが「文学を語り合った少女の頃のあなたはどこに」と問うような書簡で、彼女からの返事はない。問いかけているのは個人の倫理と組織の論理の相克であろう。タイトルのヒントになったのは、平凡社百科大辞典の編集長だった林達夫のスターリン批判『共産主義的人間』(中公文庫)だと聞き、記者は左翼活動の実態を描いた柴田翔の『されどわれらが日々』(文春文庫)を思い出した。
 それをどう乗り越え、個人の倫理を貫けばいいのか聞くと、「人は誰も愛されたいのです。それが不満の源泉で、そうではなく自分から愛していけばいい」と、まさにフランシスコの言葉が返ってきた。彼の「平和の祈り」に「主よ、慰められるよりも慰め、理解されるより理解し、愛されるよりも愛することを求めさせてください。」との一節がある。
 山村サロンの閉館にあたり、山村さんは「今後は同市内の自宅で小規模な読書会などは続けるが、詩作や文筆業、演劇といった自分の好きなことを追求していくつもりだ」と語っている。松山(しょうざん)庵は阪急芦屋川駅から徒歩5分の自宅のことで、人を迎え入れる門に大きな松の木があったから名付けたという。
 松山庵での講座で山村さんが若者に自らの思想を語るのが、バトンを次の世代に手渡すためのサロン・デ・ロゴス。また山村サロンから継続している毎月のレコードコンサートでは山村さんによる曲の詳しい解説が好評である。


 やまむら・まさはる 1952年兵庫県芦屋市生まれ。高校時代から詩を書き法政大学文学部英文学科卒業。1986年、芦屋市で「山村サロン」を開館。活動は精神史家、詩人、作家、指揮者、役者、モデルなど多彩。阪神・淡路大震災を機に小田実らと「被災者支援法」をつくるため「市民=議員立法」運動を展開。芦屋神社代表役員。浄土宗安楽寺総代。著書は『マリア・ユージナがいた』『宗教的人間」(リブロ社)、『自録・市民立法』(藤原書店)など。