善通寺で弘法大師御誕生会
記念のイベントや仏教講座も/香川県善通寺市
香川県善通寺市にある真言宗善通寺派の総本山善通寺は宝亀5年(774)6月15日、弘法大師空海が生まれた地に建立された。同寺では毎年6月14、15の両日、弘法大師御誕生会が執り行われている。会場の御影堂は空海の生まれた佐伯家の邸宅跡に建てられた堂宇で、その奥殿は母・玉寄御前の部屋があった場所という。

宗教は世界をどう説明してきたか
宝物館では国宝・金銅錫杖頭が特別公開され、7日のイベント「大師市」は雨のため中止されたが、遍照閣での五岳公開講座では、真言宗御室派寶珠院住職で日本語学が専門の尾山慎(しん)奈良女子大学教授が、「宗教は世界をどう説明してきたか〜仏教と言葉の歴史〜」と題し講演した。五岳山は善通寺の山号。以下、講演の概要。
宗教が生まれたのは人が「世界を説明する」ためで、世界観には人生観や歴史観も含まれる。人生や世界についての問いに対して長い時間をかけて言葉で説明してきたのが宗教で、それは人間にとっての知の体系でもあった。
近代になって科学が発達すると、例えば、人間が最も考え続けてきた「死」について、がんという悪性腫瘍が原因だなどと説明するようになった。しかし、それは死の意味ではない。興味深いのは、死についての日本語の迷惑受け身「死なれた」や、罪の意識が伴う「死なせた」は英語に訳しにくく、そこには文化的背景があることだ。
宗教は、救いや悟り、罪、祈り、供養、慈悲、縁、功徳、浄土など目に見えない事柄に言葉を与えるもので、人間は言葉によって生物学的な社会性を拡張してきた。言葉でつながり合うことで複雑な社会を統制できるようになり、過去・現在・未来という時間も認識できるようになった。それに比べて動物には、今・ここ・自分という認識しかない。
古代では宗教が唯一の「知の体系」だったが、近代以降、科学が事実に基づき、降雨や病気、星の運行などの理由を合理的に説明するようになった。しかし、科学は宗教を否定して生まれたものではなく、例えばニュートンは神の創造した世界の秩序を知ろうとして万有引力の法則を発見した。彼の学問の根本は神学で、科学者であると同時に神学的思索者であった。科学はとても強い知だが、科学もまた歴史の中で作られてきた知である。
科学も宗教と同じ「世界の説明」だが、科学は「仕組み」を、宗教は「受け止め方」を説明しようとする。大切な人を亡くすと、科学はその人の病気の原因を説明し、宗教はその悲しみをどう受け止めればいいか、死者をどう記憶し、供養すればいいかを説明する。

キリスト教やイスラム教など一神教は神が世界を創造したとし、神と人間との関係を中心に世界を説明し、人間は「罪」を持つ存在だが、神の愛によって救われるとする。それに対して仏教は世界創造には関心がなく、人生は「苦」であるとし、苦しみの仕組みを見つめ、なぜ人は苦しむのか、なぜ思い通りにならないのかと、人間の心と苦しみのあり方を深く見つめてきた。仏教が目指すのは悟りを開き仏になることだが、一神教では人が神になることはあり得ない。
仏教でいう苦とは「思い通りにならない」ことで、「そういうものだと受け取る」よう教える。悟りとは、世界をありのままに見ることで、仏を象徴する仏像は一切迷いがない顔をしている。仏教の基本にあるのは「無常」で、すべては変わっていくとする。これは冷たいようで救いでもあり、苦しみも悲しみも、自分も、やがて変わるのだから。
世界の宗教はそれぞれ違う問い方、答え方をしているので、どの宗教が正しいのかを争うのは意味がない。また、宗教と科学も問い方が違うだけなので、時と場合によって「二刀流」でもいい。大切なのは自分で考え、自分なりの「世界の説明」を持つことである。


