神のみわざの記録として語り継がれた「日記」

連載・信仰の自由とキリスト教共同体の形成(2)
本紙前代表 石丸志信

丘の上の砦(教会)から海に向かってくだるメイン道路(ライデン通り)(著者撮影)

プリマスの歴史を心に刻む
 合衆国のボストンから南南東に進み、ケープ・コッド湾の入り口付近まできたところにプリマスの町がある。その町に入ると、1620年代にタイムスリップしたのかと錯覚する。ピルグリム・ファーザーズが建設した村がここに忠実に再現されている。かつては「プリマス・プランテーション」と呼ばれた体験型歴史博物館。現在は「プリマス・パタクセット」に名称が変わった。
 海を見下ろす小高い丘に2階建ての見張り砦が築かれている。この砦は、日曜日になると礼拝堂として使用され、コミュニティーセンターとしての役割を果たした。この砦からはケープ・コッド湾が見下ろせる。海に向かってまっすぐに伸びた道の左右に家が建ち並ぶ。鍛冶屋は火を起こし農具を造り、パン屋は早朝パンを焼く。博物館の解説員が当時の人物になりきって生活の様子を見せ、来場者の質問に応じてくれる。
 この地で、アメリカ建国の物語が語られ体験がなされ、信仰の自由を求めて大西洋を渡った始祖たちの精神が人々の心に刻まれていく。
 今日、このように始祖たちの歴史が再現できるのは、プリマス植民地の指導者ウィリアム・ブラッドフォードが記した「日記」に因るところが大きい。彼は、1621年に知事に選出され、1657年まで、5度知事に選出され、この地を統治してきた人物。『プリマス植民地の歴史』と呼ばれる彼の「日記」には、1620年に新大陸に移住する経緯から1647年までの記録が一冊にまとめられている。
 彼のみならず、当時、新大陸に渡ってきたピューリタンの指導者たちの多くが「日記」を残している。それは「記録のための記録ではなかった」(曽根暁彦著『アメリカ教会史』日本基督教団出版局 1974年 p.67)。「神の救いにあずかっていると信じた『聖徒』たちは、自分たちの生涯における神の計画を察知するために日記を書き綴り、思想と行動を反省し、分析した」、「それは信仰の記録、神のみわざの記録として、彼らの精神的旅路を導く地図として克明に書き綴られたのである」(同上)という。
 この精神こそが建国の神話として語り継がれ、生きた博物館として体験され、共同体を支える精神的支柱になっているのではないだろうか。

プリマス・プランテーション(当時)のベーカリー(著者撮影)

新しいイスラエルの自覚
 ピューリタンの「聖徒」としての自覚から日記を書き、神のみわざの記録としていったという発想は、イスラエル民族が民族の歴史を聖典としたことと相通ずる。キリスト教で旧約聖書の「歴史書」に分類されるヨシュア
記、士師記、サムエル記、列王記をユダヤ教では「前の預言者」と呼ぶ。それは、選民イスラエルの歴史、約束の地に入国してから統一された王国となり、その国が時に栄え時に衰退する歴史の中に神のみことばと救いの経綸が現れているとみるからだ。
 また、創世記の大半を費やして記された通り、その民族の出発点は、父祖アブラハムが神の召命に応えて、故郷を離れ、約束の地へと歩み出したところから始まる。一家族の経験が息子イサク、孫のヤコブとその子供たちへと継承され、民族の歴史へと拡大してきた。その民族が、未曽有の苦難を経験したのち、神が導くことのできる国を建設していくことになる。それは、選民として他の民族に先がけて平和と幸福なる世界の模範となることが使命だと受け止めてきたからに他ならない。
 1620年にメイフラワー号に乗って新大陸に渡り、プリマスに新たな共同体を形成したこの一群をピルグリム・ファーザーズと呼び、その歴史を建国の父祖の歴史として今も記憶すること自体、自ら新しいイスラエルとの思いを抱いているのではないかと思う。彼らもまた、神のみこころのままに、故郷を離れ、新天地で、神の子らにふさわしい共同体をつくろうとしたからだ。
 しかしながら、この始祖たちが建設したプリマス植民地が、そのまま順調に成長発展を遂げ、現在のアメリカ合衆国とし
て独立したわけではない。彼らから数年後にセイラム、ボストンを拠点に開かれたマサチューセッツ
湾植民地が発展を遂げる。およそ70年存続したプリマス植民地は、これ
に併合されることになる。

(2026年6月10日付 836号)