アルゴリズム信仰と神

AI社会と宗教(6)
宗教研究家 杉山正樹

 21世紀の私たちは「神はいない」と思いながら、実は別の〝神〟に日々祈りを捧げている。検索順位、SNSのおすすめ欄、AI診断、レコメンドや評価スコア──これらは不可視の権威として、私たちの行動を導き判断を左右し、時に運命すら決めてしまう。今や人々は宗教者よりも、検索エンジンやアルゴリズムの「判断」を信頼する。「意思決定の外注化」とも呼べるこの現象こそ、本稿で論じる〝アルゴリズム信仰〟の本質である。
 アルゴリズム信仰では、AIやデータ分析による意思決定を、人間の判断よりも客観的で中立的、あるいは全知に近いものとして信頼・崇拝する。チャット型生成AIが、宗教的な問いや人生相談に答える中で、アルゴリズムが「新たな神」の役割を担い始めているという議論である。

ユヴァル・ノア・ハラリ(CityTree / CC BY 2.0, Wikimedia Commons)


 宗教史を振り返れば、常に「見えない秩序」との葛藤であった。天体の運行、自然の循環、病や幸不幸の理由──説明のできない力の背後に神を想定し、その神の意志に従うことで人は安心を得た。科学が進歩したとはいえ、私達は依然として「見えない秩序」を求めている。果たして将来、その秩序は神からアルゴリズムへと置き換わるのであろうか。
 アルゴリズムとは本来、単純な計算手順である。しかしビッグデータとAIによって巨大化した現代のアルゴリズムは、もはや一個人には理解不能な「ブラック・ボックス」となった。人々は「表示される広告」「上位に来る検索結果」を何ら疑うことなく、アルゴリズムの提示する順番・評価・お勧めを〝無批判に受容〟して行動する。
 宗教社会学の視点で概括すれば、「信仰とは、権威あるものを前提として行動を委ね」、「祈りとは、神の判断を信じそれに身を任せる行為」である。現代人は検索結果の上位に現れた情報を「信頼すべきもの」と無分別に受容し、AIの判定結果に「従うべきもの」として動く。これは宗教における「啓示」「神託」に近い心理作用である。
 本来なら専門家による判断が必要とされる医療・金融・司法・採用などの領域でも、アルゴリズム信仰を象徴するAIスコアリングの動きが目覚ましい。なぜ人はアルゴリズムを信じてしまうのか。第一に、それが「中立で客観的で公正だ」と信じられているからである。だが実際には、データや設計者の偏り(バイアス)を含む可能性があるというのが、最近の認識である。第二に、不確実性に耐えられず、予測可能性を渇望する人間の本性が、未来を「計算してくれる」存在としてのアルゴリズムに安心感を求め依存するのだという指摘である。第三に、社会的合意形成の速度が落ちる一方、アルゴリズムは即座に判断を与える。この〝迅速な権威性〟が、信仰の対象としての要素を確立する促進要因になるのだという。
 宗教は本来、「人間が何を信じ、何に従うか」を問う営みである。信仰が、〝見えない権威への服従〟だとすれば、「近未来の最大の宗教は、アルゴリズム(データ至上主義)である」というユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』の未来予測が皮肉にも成就してしまう。問題はアルゴリズムが、痛みや悲しみを理解せず謝罪もしない〝責任を取らない神〟である点にある。アルゴリズム信仰の超克こそが、AI時代の宗教の新たな役割になると考える。
 アルゴリズム信仰が既存の宗教に及ぼす影響は、単なる「便利なツールの導入」に止まらない。それは、神や教義といった「超越的な権威」を、データと予測という「数学的な権威」に置き換える、あるいは融合させてしまうという、宗教の本質に関わる変容を迫るものである。アルゴリズムは「手段」を最適化するが、宗教は「目的」を問い続ける。
 AIは「効率的な生き方」を教えることはできるが、失敗や苦難に「意味」を与えることはできない。既存の宗教がアルゴリズム信仰に対抗、あるいは共存していくための鍵は、データでは説明のできない「不合理な選択」や「不条理な苦しみ」に対する「沈黙の寄り添い」といった、極めて人間的=非アルゴリズム的な領域を如何に守り抜くかにかかっている。
 この役割分担が崩れ、人間が「目的」の決定までアルゴリズムに委ねた時、既存の宗教はその存在意義を真に問われることとなる。AI社会の宗教の課題は、人生における「非アルゴリズム的」な選択の意義を如何に提示できるかにかかっている。AIが万能化するほど、私達はむしろ〝誤りうる他者〟や〝ともに悩む共同体〟の価値を再発見する筈である。アルゴリズムは便利だが、どこまでいっても「祈り」の主体にはなれない。そのことを自覚することが、AI社会の信仰論の第一歩となるであろう。

(2026年6月10日付 836号)