葵祭の無事斎行を祈る
京都下鴨神社で御禊の儀
斎王代、御手洗池で身を浄める

京都三大祭りの葵祭(賀茂祭)で、女人列の主役となる斎王代が身を浄める御禊(みそぎ、ぎょけい)の儀が、5月4日、賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社、友田重臣宮司、京都市左京区)で、三笠宮彬子(あきこ)女王殿下御臨席のもと斎行された。あでやかな十二単(じゅうにひとえ)を身にまとい、初夏の陽射しのもとフタバアオイ(葵)の葉を頭にかざした斎王代は、雅楽の音が流れる中、境内の清らかな御手洗(みたらし)池に両手を浸して身を浄め、葵祭が無事に斎行されるよう祈った。
葵祭は我が国最古の祭。飛鳥時代より前に欽明天皇(509〜571年)は、うち続く風雨による民衆の困難を見て占部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせたところ「賀茂の大神の祭をせよ」とのお告げを受けた。そして、4月の吉日を選んで馬に鈴を付け騎手には猪の頭を被らせて走らせて祭を行った。すると風雨が止み五穀豊穣となったため、この祭が始まった。正式には賀茂祭であるが、社殿に葵を飾り、祭の奉仕者全員が葵を身に付けることから葵祭と呼ばれるようになった。
平安遷都の後、上下の賀茂社は国家鎮護、皇都の守護神となり、嵯峨天皇(786〜842年)は、賀茂大神への崇敬を表すため神様の杖の代わりとなる御杖代(みつえしろ)として、最愛の皇女だった有智子(うちこ)内親王を賀茂の社に斎王として奉仕させた。これが斎王の始まりでその後35代、約400年間続いた。
現在の斎王代は、この故事に因んで昭和31年(1956)、京都にゆかりの未婚女性から選ばれることになった。今年で第68代の斎王代は、塩見真桜(しおみまお)さん(21、同志社大学4年)が選ばれた。
下鴨神社境内の井戸の上には、瀬織津姫を祀る井上社が建っている。斎王代は、井上社から流れ出る清水が御手洗(みたらし)池となったその岸ベから両手を合わせて、水面(みなも)に差し入れ身を浄めた。手を拭った懐紙は池に浮かび、川となる御手洗川をゆったりと流れ下った。
この朝、斎王代は童女(わらわめ)、命婦(みょうぶ)など約50人の女人列を率いて京都御所から同社に到着し御禊の前に、池に臨む祭場に着座し、そこで神職による祓祝(はらいのりと)を受けた。祓祝の一節では様々な罪穢れが「高山の末 短山(ひきやま)の末より 佐久那太理(さくなだり)に落ち多岐(たぎ)つ 速川の瀬に坐す瀬織津姫(せおりつひめ)と云ふ神 大海原に持ち出でなむ」と、祓戸(はらいどの)大神である瀬織津姫によって浄められる様が朗々と読み上げられた。斎王代が手をひたして御禊を行う水は、瀬織津姫を祀る井上社から流れ出る。
御禊の儀は斎王代が創設されて以来、コロナ禍の時期を除いて上賀茂神社(加茂別雷(わけいかずち)神社、京都市北区)と下鴨神社との両社で1年ごとに交互に斎行され、今年は下鴨神社の奉仕。境内は、斎王代や女人列を見ようと参拝者であふれかえった。
5月15日の葵祭当日は、輿(こし)に乗った斎王代を主役に平安装束に身を包んだ約500人の行列が、京都御所の建礼門前を出発し、新緑の都大路を進み、下鴨神社で祭儀を行い、さらに上賀茂神社において勅使の御祭文が奏上された。


