美術・特別展「御肖像と御召物」

明治神宮ミュージアム

 令和7年7月12日から明治神宮ミュージアムで特別展「御肖像と御召物」が開催されている。

 明治天皇の御肖像は御在世中、写真としては3回の制作が行われた。特に1回目の明治5年の撮影については、国家元首の写真を交換する外交儀礼上の慣習にこたえる為、海外派遣中の岩倉使節団より急遽帰国した大久保利通や伊藤博文の要請により撮影された。明治天皇は写真の撮影をお好みにならず、明治6年に洋装の御正服姿の撮影をしたことを最後に、以後は伊藤博文や侍従長の徳大寺実則の奉請による年齢に応じた再撮影についても聴許されなかった。そして、3回目の制作は明治21年の東京芝公園内の弥生神社行幸の祭、御陪食中の様子をイタリア人画家エドアルド・キヨッソーネに密かに拝写させたものを写真師の丸木利陽が写真として完成させたものとなった。

 同展覧会は、御肖像の中でお召しになられていた装束や洋服を展示し、激動の時代を国民とともに国づくりに勤しまれた御祭神をお偲びするものである。

 『明治天皇御尊影』(アルフレッド・E.・バック特命全権公使旧蔵品/明治35年下賜 明治神宮蔵)は昭憲皇太后からバック公使の妻、エレン夫人が帰国の折、蒔絵小箱一合とともに下賜されたもの。公式に下賜された記録が残る宸筆入りの御尊影として貴重な一品である。アルフレッド・E.・バック公使は明治30年アメリカ合衆国の特命全権公使に選任された。日本国内の記者から「真の友人」と評された人格者であったが、明治35年12月に急逝する。その後も昭憲皇太后とエレン夫人の交流は続き、この肖像画は140年の間、バック家に受け継がれてきた。

 『聖徳記念絵画館壁画下図 凱旋観艦式』(東城鉦太郎作 昭和4年)は明治39年10月に横浜沖で行われた日露戦争で殊勲を立てた艦隊の観艦式を描いたもの。

 『明治天皇紀』によると、当日参加した艦艇は御召艦並びに供奉艦以下165隻で、天皇は御召艦「浅間」に乗艦してご親閲になり、連合艦隊司令長官東郷平八郎以下はお褒めの言葉を賜ったという。

 『明治天皇御料 海軍御軍服』は明治29年10月の勅令第324号による御改正のもの。同38年の日露海戦凱旋観艦式などにご着用された軍服と同型である。『明治天皇御料 陸軍御軍服』は明治38年、陸軍軍服服制御改正の軍服で、同39年4月に行われた青山練兵場での「明治37・8年戦役凱旋観兵式」の時に初めて着用された。

 『御名 宸翰』(御名:明治天皇 本文:徳大寺実則 明治25年)は病気療養中の伊籐博文に対して枢密院議長の慰留を命じたものである。伊藤はこれを受け、感涙し、休養先の小田原より参内し、即日帰宅したという。伊藤の議長職の辞任は天皇に許可されなかったのであるが、明治天皇の伊藤に対する信頼を物語っている。

会場:明治神宮ミュージアム(明治神宮境内)

会期:令和7年7月12日(土)から9月28日(日)まで(休館日:木曜日

開館時間:午前10時から午後4時30分まで(入場は閉館の30分前まで)

お問い合わせ:03-3379-5875

『聖徳記念絵画館壁画下図 凱旋観艦式』(東城鉦太郎作 昭和4年 明治神宮蔵)
『明治天皇御料 海軍御軍服』(明治29年 明治神宮蔵)
『明治天皇御料 陸軍御軍服』(明治38年 明治神宮蔵)
『御名 宸翰』(御名:明治天皇 本文:徳大寺実則 明治25年 明治神宮蔵)