教育機関と聖職者の育成、宗教教育

2025年6月10日付 824号

  米トランプ政権とハーバード大学の対立が連日のように伝えられているが、ハーバード大学の名前を聞きながら、同大がもともと聖職者(各宗派の指導者)を育てる学校として出発したことを思い起こした。
 1636年に創立されたアメリカ最古の同大は、校名も大学への寄贈者である牧師ジョン・ハーバードの名に由来している。神学教育がなされ、神学大学院も1816年に設立されている。
 他にプリンストン大学など歴史ある大学には、聖職者の養成と関わる役割を持って創立されたところも多い。もちろん日本でもそうした役割を担っている大学がある。
 神学教育の発展や聖職者の養成(言い換えれば信仰の継承)は、高等教育機関と切り離せない関係にあるということだ。
 もう一つ、筆者が手元に持っている少し古い記事を紹介したい。宗教的な〝言葉〟によって人が生まれ変わったという内容である。
 「宗教教育を見直そう」という記事(教育新聞1999年9月23日号、国際比較教育の専門家、野口桂子さん)の中に、アメリカのカトリック系中高校の話が、引用の形で紹介されている(引用元は『子どもを傷つける親、癒す親』鈴木秀子さんの著書)。
 この学校では、学期ごとに一つの言葉を毎日唱えていた。1学期は「私は神様から命を与えられ、生かされている大切な存在です」、2学期は「私にはかけがえのない命があって、自分で自分を成長させる力があります」、3学期は「私は、人のために役立つ力を神様から頂いています」という言葉である。
 この学校に通っていた一人の男子生徒は、父親がアルコール依存症で、家庭環境は良くなかった。そして自身も麻薬グループに巻き込まれ、ある時、殺人を犯してしまう。
 刑務所に入った男子生徒は、学校に通っていた時に唱えていた言葉を夢に見る。そしてその言葉を口にするようになると、男子生徒に対する周囲の接し方が優しくなり、彼は刑務所内作業所のリーダーになる。男子生徒は、自分の半生は惨めな辛いことが多かったが、学校で唱えた三つの言葉が自分を救った、自分に力を与えてくれたと多くの人たちに語ったというのである。信仰につながる言葉が人を救う力を持っていたわけである。この中で野口さんは、宗教教育の見直しについて問題提起している。
 日本では、「宗教に関する理解を深めることが、自ら人間としての生き方について考えを深めることになるという意義を十分考慮して指導に当たることが必要である」(学習指導要領解説書)といった記述や、「特別の教科 道徳」の学習指導要領(中学校)では「美しいものや気高いものに感動する心をもち、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めること」をうたっている。ただ、公立学校では宗教教育は積極的な扱いがなされてきたとは言い難い。
 ところで、天野貞祐文相が1951年にまとめた『国民実践要領』の中で、カトリックの信仰を持っていた天野は次のように記している。
 「われわれの人格と人間性は永遠絶対のものに対する敬虔な宗教的心情によって一層深められる。宗教心を通じて人間は人生の最後の段階を自覚し、ゆるぎなき安心を与えられる。…古来人類の歴史において、人の人たる道が明らかになり、良心と愛の精神が保たれてきたことは、神を愛し、仏に帰依し、天をあがめた人達などの存在なくしては考えられない」。
 結局、『国民実践要領』は修身教育の復活だと野党や日教組、メディアなどから強い反発を受け、撤回された。
 難しい状況もあるが、何らかの形での宗教教育が必要な時代だと思われる。