東西の宗教に橋を渡す
連載・信仰者の肖像(5)
増子耕一
植田重雄(1922〜2006)

宗教学者だった植田重雄にとって学究生活の出発点にあったのは学徒出陣だった。
出陣前、早稲田大学で恩師だった會津八一と奈良に旅した。別れの旅だった。この時の師の言葉をこう詠んでいる。
「戦場のいづこにありとも歌詠めと心昂ぶり師はいひませる」
復員して大学で研究活動を始めると、キリスト教徒だった植田は、西洋文明の根本をつくったヘブライ民族とギリシャ民族の思惟方法を探求した。
ギリシャに関してはノルウェーの神学者トーレイフ・ボーマンの名著『ヘブライ人とギリシャ人の思惟』(新教出版社)を研究し、翻訳して実らせた。また旧約聖書とヘブライ語を学んで『旧約の宗教精神』(早稲田大学出版部)を著した。
それらを発展させることで、ヘブライ系宗教と仏典とを比較して『宗教現象における人格性・非人格性の研究』(早稲田大学出版部)を著した。これは宗教学者の間でも高く評価され、植田の地位をゆるぎないものにした。
郷里の静岡県牧之原市には、平伝寺住職の竹中玄鼎和尚という幼馴染がいて、植田にとって貴重な信仰の友だった。臨済宗妙心寺派の宗務総長を務めた人物で、比較宗教の研究もこうした友がいたからこそ可能だったに違いない。
東西の民間信仰を扱った『守護聖者』(中公新書)では、西洋の聖者文化と日本の仏菩薩を比較して、両者に同じように「一と多」の構造が内在していることを明らかにした。
研究と並行して、短歌同人誌「淵」の発行人を務め、生涯、歌を作り続けた。
その後、研究対象は美の感動によって開かれる世界、彫刻や、絵画や、民間習俗へ移っていった。そうして生み出されたのが、『リーメンシュナイダーの世界』(新潮社)、『聖母マリア』(岩波新書)、『ヨーロッパの神と祭り』(早稲田大学出版部)などだった。
初期の歌集『鎮魂歌』や『存在の岸辺』で動機となったのは戦争体験だったが、『華巗集』(1998年)では研究生活と結びつくような歌が多くなる。
「美のために血をば流して闘へるギリシャの民と神々ありき」
ギリシャを旅して神話の世界をたどって詠んだ歌だ。
「殉教の聖歌ひびけり捕らはれて死にゆく際も歌ひ続けし」
キリシタン殉教のあった長崎生月島を旅した時のもの。
「うら若き采女の胸にほのかにも揺れてありけむ翡翠の玉は」
平城京出土の勾玉を見て感動した時の作品。
歌は宗教学の研究と深く関連していて、宗教学研究は人生の生き方とも直結していた。
「ヤコブが荒野を旅したとき、神の声を聴き、天使が梯子を上り下りしているのを見る。そういう体験は昔の人のことで、今は存在しないのだというのは、現代人の歪んだ考えです。歌を人間世界だけのものにしたのは思い上がりです。今の人間だって、天上的なものと地上的なものとの交流を歌うことができる」
歌集を刊行した時、語ってくれた言葉だ。
華巗とは、高い岩山に生きる美しい花にあこがれて名付けた言葉だったという。
(2025年5月10日付 823号)