奇跡を信じたヘブル人

連載・信仰者の肖像(3)
増子耕一

浅野順一(1899〜1981)

浅野順一

 牧師で旧約聖書学者の浅野順一は、東京商科大学(現・一橋大学)で学生時代を過ごした。卒業後は三井物産に入社。3年間働いたが進路が違っていたことを悟り、聖書学を学ぶべく東京神学社に入った。
 きっかけは、東京商科大学での三浦新七教授の「商業史」の講義を聴いたことだった。内容はヨーロッパ文化史で、へブル文化とギリシャ文化を扱っていた。学生の間でもっとも人気のあった講義で、それを聴くのが唯一の楽しみ。 
 浅野が学んだのは、旧約聖書こそがヨーロッパ文化、さらには世界文化の形成のうえで大きな原動力となった、ということ。商業史の聴講生から、一生、旧約聖書に取りつかれた人間がいたと知ったら、三浦教授は喜んだのか、悲しんだのか、と回顧する。
 著書『予言者の研究』(講談社、2023年)のまえがきで記している。聖書研究を決心したとき、森明に信仰の指導を受け、東京神学社で高倉徳太郎に師事。その後、エディンバラ神学校、ベルリン大学に学び、帰国後、1931年に日本基督教会美竹教会を設立した。満州事変の起きた年だ。牧会の傍ら、旧約聖書学の研究をすすめ、この著書を執筆した。
 このころの日本は1932年満州国建国、33年国際連盟脱退、36年2・26事件と急速に軍国主義化していった。
 イスラエルの予言者についての研究は信仰なくしてはできず、当時の精神的な緊迫感が伝わってくる研究書だ。「イスラエル予言者を研究することはやさしい。しかし予言者の如く生きることはむずかしい」と吐露している。
 ここで取り上げたのはエリヤ、アモス、ホセア、イザヤ、ミカ、エレミヤの6人。彼らが活躍した時代は、南北王朝時代末期から、両王朝の滅亡と、バビロン捕囚の行われた時代だ。予言の内容とイスラエルの社会事情、カナン先住民文化との関係、国際状況、政治と経済、外国からの軍事侵攻まで、環境的要因も語られていく。
 イスラエルの王は政治的支配権を代表していたが、専制政治は許されなかった。唯一の支配者は王ではなくヤーウェだったからだ。異教の信仰が社会の根本を破壊しようとするとき、予言者は召命されて立たざるを得なかった。
 ヤーウェと人間との人格関係をアモスは正義、ホセアは愛、イザヤは聖で示した。彼らには一貫した歴史観があった。自然と人類の全歴史を動かす者は神ヤーウェであり、その目的は神の意思の実現にある、と。
 浅野は「旧約研究の方法論について」という論考で、ウェルハウゼンの『イスラエル史序論』(1883年)以来の文献批評学的、歴史批評学的研究方法を取り上げ、さらにグンケルらの宗教史学的な方法についても紹介し、その欠陥についてこう論じる。
 そこには「神の啓示の歴史」「救済の歴史」という観点が欠落しているうえ、「奇跡」の観念をみとめないという致命的欠陥がある、と。神の意思と計画は奇跡として予言者たちに示され、彼らはそれを啓示として受け入れたからだ。
 浅野は牧師の仕事をしながら予言者の信仰を手本に生きた。1980年キリスト教功労者を受賞。
(2025年3月10日付 821号)