歴史の終局を研究主題に
連載・信仰者の肖像(2)
増子耕一
木間瀬精三(1911〜2013)

歴史家・木間瀬精三には代表作が二冊あった。『死の舞踏』(1974年、中公文庫)と『幻想の天国』(1975年、同)で、両者ともルネサンスを扱っていた。
『死の舞踏』では中世社会の生死観を主題に美術史的に追求し、中世末期の死の表現には仏教でいう「無常観」が潜んでいて、もはや「永遠の命」を求めて「最後の審判」に恐れをなす敬虔な姿はなくなったと論じた。
『幻想の天国』で問題にしたのはルネサンスの「虚像」と「実像」で、「美しい幻想のかぐわしい香りに満ちた世界」と「絶えざる死の恐怖と闘争の世界」とが共存した、矛盾に満ちた凄惨な時代だったという。
これらを書いていた時、木間瀬には、宗教改革以降の近代社会はもう破局を迎えているという自覚があった。前者のまえがきでこう記した。「現代は確かに破壊・否定の時代である。旧きものは片づけられ、新しいものに場所を空けなくてはならない」。
キリスト教はアジアに生まれた宗教だった。では西に伝播した西欧的キリスト教はどこに特徴があったのか。木間瀬は近東の教会と比較する時に明確になるという。近東のキリスト教世界では世俗世界を逃れ、それに背を向ける隠修士的性格を保ち続けるが、西欧では修道院だけでなく社会生活全般にわたって聖と俗が互いに相寄り、一つになろうとした。神の国も地上の民にとっては地上の国それ自体が最終目標になったという。(「トゥルバドゥールの世界と聖ベルナール」『文学における神』春秋社)
歴史学者としての仕事の一部だが、この碩学がどのような信仰を持ち、どのような生涯を送ったのか、全体像が明らかになったのは没後。彼が初代所長を務めた聖心女子大学キリスト教文化研究所が『宗教と文化30』で「追悼・木間瀬精三先生」を特集した。
西洋史研究の全体像の紹介があり、留学したミュンヘン大学での勉学と教育活動(1937〜45)についても詳述されていた。歴史を学ぶだけでなく、教師として日本語と日本史を教え、日本学への道を開いたのだ。
興味深いのはドイツ文で書かれ、初めて翻訳された自叙伝「真理への道─ある日本人学生の書簡─」だ。生い立ちからドイツ留学までだが、主題は揺れ動いた信仰と勉学の問題。精神的危機から長老派の洗礼を受けたが教理神学の矛盾に突き当たり、アウグスティヌス以来のカトリック教会へ関心は移る。そして新たに洗礼を受けた。
世界がどう成立し、どこに向かい、終局がどのような外観を呈するのか。この根本問題を考えるために研究主題を「神と歴史」に定めた。
かつて聖心女子大学の研究室でインタビューさせていただいたことがある。「歴史学は何を学ぶところですか」と質問すると「人間学です」と答えてくれた。「歴史の主体である人間への評価、自由や責任、良心への評価を見失ってはならないのです」。
(2025年2月10日付 820号)