新年のご挨拶

本紙代表 石丸志信

2025年1月10日付 819号

 令和7年乙巳(きのとみ)の年を迎え、謹んで新年のお慶びを申し上げます。
 昨年中は格別のご高配を賜り、心より御礼申し上げます。皆様方におかれては、国家の安寧、衆生の救済、世界平和の祈りを神仏に捧げて、心新たにこの年を出発されたことと思います。
 コロナ・パンデミック以降、世の中は大きく変動し内外の混乱は続いてきました。それはまるで聖書に記された「終わりの時」の様相を呈しているかのようでした。
 「そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。」(Ⅱテモテ3:2─5)
 二千年前に切迫感をもって語られた使徒のことばが胸に迫ります。人々の心から神仏への畏敬の念が薄れ、モラルが低下している状況が広がっているようです。権利の主張、言論の自由を叫びながら、純朴な信仰心を蹂躙することもあります。このような世の中では人間の尊厳が軽視されてしまいます。
 健全な社会の秩序、モラルの根底にあるのが宗教です。神仏と人とを愛の絆で結び、生きがいのある人生を送ることができる、永遠なる平和と幸福の世界を構築する道を示すものが宗教でありましょう。その働きが弱まり貶められると、悪が世にはびこります。神仏を崇敬する自由は天賦の権利です。自らの信仰を人々に語り伝え、共鳴する人々と健全な家族共同体を形成維持できてこそ人間の尊厳は守られます。
 すべてのものの創り主なる神の教えに従って生きようとした民族はこのような教訓を残しました。「幻(ビジョン)がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。」(箴言29:18)個人にとどまらす、家庭や社会、国家のゆく道を示す「宗教」を失えば人々は道を見失い、悲しみと不幸が待っています。
 このような時代であるからこそ、宗教者の真摯な祈りと働きが必要です。どうにもならないような困窮した中で、悲痛なる叫びを天にあげる時、必ず助けの手を差し伸べて下さる方がいるという確信が宗教者の実感でありましょう。
 国を失い他国に隷属し困難の極みにあった民族に、預言者は告げました。
 「起きよ、光を放て。/あなたを照らす光は/昇り主の栄光はあなたの上に輝く。/見よ、闇は地を覆い/暗黒が国々を包んでいる。/しかし、あなたの上には主が輝き出で/主の栄光があなたの上に現れる。」(イザヤ60:1─2)
 乙巳の本年、自らが古い衣を脱ぎすて、新しい心、広い心、大きな心をもって、希望の灯をともし、一人ひとりの尊厳が守られ自由と幸福を享受できる世に産みかえていくことのできる働き手が立ち現れることを祈ります。彼らが我執を越えて、互いに手を携えていければ、どれほどよいことでしょうか。
 皆様のご健勝とご多幸を祈りつつ挨拶に代えさせていただきます。