雲迎寺の久志則行住職に聞く/落語家から僧侶へ

連載・京都宗教散歩(33)
ジャーナリスト 竹谷文男

落語家から僧侶になった久志則行住職

 寺の本山や神社の本宮がひしめいている京都盆地から、東山を越えて滋賀へ抜けると琵琶湖と近江平野が広がり、その周りを千メートル前後の山が囲む。湖に流れ込む川が用水路となって潤す近江平野には寺社が点在し、高さ数百メートルの低山があちこちに穏やかな山体を見せている。
 近江平野の一角、蒲生郡日野町音羽の浄土宗のお寺に、もと落語家だった久志則行(くし・そくぎょう)さん(59歳)が6年前に住職として赴任してきた。季節になると、千株のさつきの花が咲きほこる雲迎(うんこう)寺で、戦国武将だった蒲生氏郷の念持仏も保存されている。久志住職に、落語家から僧侶になった人生を伺った。
 久志さんは若い頃、落語家の笑福亭鶴瓶師匠にあこがれて、25歳で入門させてもらった。近くにアパートを借りて通って習い、人前で落語を話せるようになったのは3年後、以後ずっと53歳まで「てんご堂我楽(がらく)」の名で落語家を続けた。「落語が好きで、鶴瓶師匠にお世話になり、仕事にも恵まれ、結婚して家庭と家を持てて、おかげさまでずっと食べることが出来ました」と感謝を語る。しかし、「落語家を辞めて人生をリセットしたい」という気持ちがだんだん強くなってきて、2016年2月、落語家を辞めることにした。
 その1か月後、我楽の落語を気に入ってよく呼んでくれていた僧侶に「落語家を辞めました」と言うと、「辞めたんやったらうちの寺に遊びに来いや。そいで気に入ったら僧侶になりや」と言われた。2日間一緒に居て「こういう人と御縁を持てて、人生を過ごしたいなあ」という気持ちが湧いてきた。
 「私みたいな人間が仏門に入れますか?」と聞くと「その気になればなれる。うちの寺は鳥取で、寺はあちこち草が生えてるから、草むしりでもしに来いや」と気楽に誘ってくれた。この時、「なぜ落語家を辞めたのかとも一切聞かず、信頼して受け入れてくださった」と言う。久志さんは「そうか、その気になれば弟子になれるんや」と思った。
 この言葉が契機になって久志さんは、妻と二人で考え、それまで夢にも思わなかった僧侶になる決心をした。導いてくれた師僧(しそう)の鳥取にある寺に夫婦で行って話すと、「師僧は『落語家を30年やったんなら、その話術で法然さんの教えを広めてくれ』と言ってくださって、私は涙が出ました」。
 師僧は「これであんたは私の弟子や」と言って、すぐに檀家さんを集めて「弟子が出家しますので、皆さん見守ってやってください」と、得度式を済ませた。久志さんは、「53歳で師僧に出会えました。師僧からは『色んな坊さんがあってええんや、それぞれが持ってるものを活かして坊さんになりなさい』と言われた。20代では僧侶になりたいと思わなかったが、この年でなりたいと思えたのも御縁」だと思った。
 その後、浄土宗の僧になるために3年間修行して、浄土門主伊藤唯眞猊下のもと知恩院で令和元年、晴れて浄土宗の僧侶になった。そして当時、無住職だった雲迎寺に赴任してきた。寺が荒れているのを覚悟して来たが、檀家10軒に守られ、きれいに保たれていたという。

訪れた参拝者に話す久志住職

 久志住職は一見、落語家から僧侶に、それほど抵抗なく来られたように見えるかもしれないが、「御縁によって背後から導かれてきた」のを感じるという。久志さんは、若くて血気盛んな頃、酔って道を歩きながら、三日月が出ていると、周りに人が居ないのを確かめて「我に七難八苦を与えたまえ!」と叫んだという。これは戦国時代、山陰の尼子氏の勇猛な武将だった山中鹿之助が、月に向かって祈った有名な話である。ただ酔いが覚めると、「そこまで大きな苦労でなくても結構です」と小さな声で付け加えたそうだ。
 そして、師僧が住職をしていた寺へ行ってみると、山中鹿之助の墓がある、鳥取市鹿野町鹿野の幸盛(こうせい)寺だった。寺の名は、鹿之助の本名・幸盛(ゆきもり)に由来し、寺内には幸盛の位牌も安置されている。久志さんは境内の墓所に参り「御縁を頂きました」と感謝した。
 久志住職の雲迎寺には、さつきの花の季節になると大勢の観光客や参拝者が訪れる。本堂で本尊を前にして、雲迎寺の紹介や、自身が落語家から僧侶になった人生を話すことがある。人を飽きさせない語り口や、当意即妙のやり取りはさすが落語で生きてきた人だと感心させられるが、ことさら落語の芸のような口調ではなく、自然な語り口に好感を持つ人は多い。
 本堂の太い柱に書かれている文字について参拝者から質問された久志住職は、一瞬、言葉につまった。「来たばっかりで、実はよう分かりませんが、有り難いことが書いてあります」と答え、皆をどっと笑わせた。この答えは、観光ガイドとしては不合格かも知れないが、宗教家としては十分に合格なのではないだろうか。


(2024年8月10日付 814号)