竹生島で三社弁財天祭

空に日輪とすじ雲が/滋賀県長浜市

厳島大神と江島大神に礼拝し、茅の輪を潜って竹生島神社本殿に向かう参拝者


 琵琶湖に浮かぶ竹生島に鎮座する竹生島神社(都久夫須麻(つくぶすま)神社、滋賀県長浜市)で6月10日、「日本三弁財天」に数えられる安芸の厳島神社、相模の江島神社から御霊代(分霊)を招き、同二社の神職と宝厳寺(ほうごんじ)住職の奉仕を得て、「三社弁財天祭」が斎行された。宝巌寺は竹生島神社に隣接する真言宗の寺院で、本尊は大弁財天。この日の祭礼は、神仏習合の形で営まれた。
 安芸、相模と互いに遠く離れた三弁財天を巡らなくても、三社の弁天様の御霊代が竹生島に集まって頂けるありがたいお祭りとあってこの日、竹生島神社は、長浜、今津、彦根の3か所の港からクルーズ船に乗った多くの参拝者で賑わった。
 午前中、長浜港から厳島神社と江島神社からの御霊代と斎主が上船し、半時間ほどで竹生島に着いて上陸した。先導するのは竹生島神社、それに厳島神社と江島神社が続き、港で先ず最初の神事が斎行されて一行は竹生島神社の本殿へと向かった。
 竹生島は琵琶湖の最深部近くにある一枚岩からなる花崗岩の島なので、一行は階段の多い坂道を登ることになる。唐門(宝巌寺、国宝)とそれに続く舟廊下(宝巌寺、重要文化財)の下に付けられた階段と石畳を進んで、竜神拝所に着く。拝所からは、さらに石段が竹生島神社本殿(国宝)に登っている。登り階段の手前右側には、「厳島大神 江島大神」と書かれた扁額が鳥居に懸かり、奥には両大神の社が設けられている。

三大弁財天の神事の後、空に現れた日輪とすじ雲

 本殿前で、厳島大神と江島大神とが都久夫須麻大神に会いに来られた神事が厳かに斎行された。階段前の広場には舞台が設置されていて、神事の後、舞楽が三大弁財天に奉納された。神事が終わると一般参拝者も本殿への参拝が許され、階段の下に設けられた茅の輪をくぐって参拝者は登段した。
 この日の天気予報は「晴れと雨」で、「くもり」はなかったが、神事の終わった後、晴天の空には日輪と太陽に伸びるすじ雲が現れ、参拝者たちは驚いて「弁財天のお使いの龍が、玉をくわえて帰って行く」とつぶやく人もいた。
 竹生島神社の創建は雄略天皇3年(490)に、浅井比売命(あさいひめのみこと)を祀ったことに始まる。国宝の神社本殿は、豊臣秀吉が当時の粋を集めて建てた伏見城内の「日暮御殿」を神殿として寄進したもので、内部は狩野永徳の筆になる天井絵などが飾られている。
 宝巌寺は神亀元年(724)、聖武天皇が天照皇大神から受けた神託を奉じた行基が竹生島を訪れ、大弁財天を祀ったのが起源と伝わる。本尊の大弁財天は、江ノ島(江島神社)、宮島(厳島神社)と並ぶ「日本三弁財天」の一つであり、その中でも最も古く建立されたため「大弁財天」と称されている。