古代製鉄
2024年11月10日付 817号
真弓常忠著『古代の鉄と神々』(ちくま学芸文庫)の解説に、上垣外憲一前大妻女子大学教授が、真弓氏が住吉大社宮司をされているときに同社を訪ね、古代製鉄について話を伺った折、「泉南で得たという『高師小僧』、つまり低湿地に生ずる褐鉄鉱の塊(子供の頭のように見えるのが小僧の名の由来であろう)を見せてくださって、私の質問に答えてくださった」と書いている。
再読して思い出したのだが、その訪問を上垣外氏の依頼でセットしたのが天地子で、当時、上垣外氏は有馬温泉に住んでいて、新車のプリウスに乗ってやってきた。同書で真弓氏は、日本の弥生時代には褐鉄鉱を原料とする「弥生製鉄」が存在し、それは日本の地方の古い神社の祭祀から証明できるとしている。その説に刺激を受け、上垣外氏は継体天皇と鉄の関係を読み解く『聖徳太子と鉄の王朝』(角川選書)を書いている。
私が真弓氏に聞いたのは、住吉大社は海の神なのに、本格的なお田植祭をするのはなぜかで、水田開発には鉄器が必要不可欠だったと、これも鉄との関係で答えてくださった。同社のお田植祭には、牛の代かきまで再現されていたのに感心したからだ。
住吉信仰を持っていた海の民は製鉄技術も有し、耕作の適地を見つけると、そこに上陸し、居ついたのであろう。当時の住吉大社は海に面していた。淡路島には弥生時代後期における日本列島最大規模の鉄器生産集落である五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)もあり、これも鉄の技術を運んだ海の民の痕跡だろう。古代史が面白い。