神嘗祭で新穀に感謝し

2024年11月10日付 817号

 伊勢神宮で10月15日から25日まで、今年も五穀豊穣に感謝する「神嘗祭」が執り行われた。皇室から勅使が遣わされ、天皇陛下からの幣帛が奉納された。
 これに先立ち9月4日、天皇陛下は皇居にある田んぼでお育てになった稲穂を収穫され、神嘗祭に際し根付きのまま御献進された。10月17日には皇居内で「神宮遥拝の儀」と「神嘗祭賢所の儀」を執り行われ、神嘉殿で神宮を遥拝され、賢所で御告文を奏された。
 全国各地の神社でも神嘗奉祝祭が斎行され、収穫された新穀(初穂)を天照大神に奉げた。高温障害が心配されたが、全国的にはほぼ平年並の作となり、店頭でのコメ不足も解消しつつある。
 しかし、日本のコメ作りは高齢化と後継者不足で生産量が漸減傾向にあり、撤退した小規模農家の田んぼを大規模農家が引き受け、耕作しているのが現状である。これからは集落営農を地域全体で運営するような仕組みが必要になろう。

地域で支える集落営農の役割
 経営規模を拡大し、作物の団地化などで効率を向上させても、多くの地域で構造改善されていない小さな田んぼを含むため、第二次産業のような生産性の向上は望めない。そこで、半農半Xによる健康的な生活や地域の自然環境の維持、水田を活用した洪水対策、水田からのメタンガス発生抑制などのSDGs効果を加味した総合的な対策が必要になろう。

 日本では稲作が優れた文化活動であるのは、人々の共同作業なしに、水田の開発や維持管理はできないからである。日本人の協調性、和の文化は水田稲作が培ってきたとも言われる。例えば、田植え機が登場するまでの田植えは地域総出の行事で、女性たちが一列に並んで苗を植え、その後方に子供たちが苗の束を置いていた。

 田植え機や耕運機などの農機具の発達は農作業を楽にしたが、共同体の絆を弱めてしまったことは否定できない。その絆をもう一度結び直すのが集落営農だと考えてもいいのではないか。目的は地域の人々と暮らし、そして自然環境を守るためなのだから。

 集落営農で日常的に一緒に農作業するチームがあると、それは地域の祭りや防災などにも対応しやすい。日頃から情報を共有し、技術を磨き、必要な機器などを備えているからである。そのチームを中核に、地域の非農家の人たちも、比較的簡単な草刈りなどに参加するようになれば、本来的な意味での集落営農に発展させることができよう。  ちなみに、農水省と厚労省では農福連携により、障がい者の農業参加を促している。取組みやすい一つは、高齢者の集落営農参加である。農機運転の経験者であれば、最新の大型農機ははるかに使いやすく、運転環境も良くなっている。

 一方、下手間的な作業は残っているので、体力に応じて参加することが可能である。あるいは、非農家の若者が、休日を利用してアルバイトで集落営農の作業をすることもできよう。稲刈りなどの一定の作業が終わると打ち上げで交流し、気持ちを通じ合わせるのも楽しい。そうして、集落営農が地域で暮らす楽しみの一つになれば、みんなで継続させようという機運が高まる。

持続郷土愛を育む
 地域の自然環境がよくなり、通学路に花が咲くようになれば、子供たちにも自然に地元愛が芽生えてこよう。学校ボランティアの農家は、稲をはじめサツマイモなどの野菜を子供たちと栽培し、命を育てる喜びの体験を提供している。幼い日の思い出の数々は、やがて彼らの心に郷土愛を芽生えさせるであろう。郷土愛は教室で教えるものではなく、一つひとつの小さな記憶の蓄積から、自然に生まれてくるものである。そのうちの少数でも、定年後はふるさとに帰り、農作業を手伝いながら地域を守りたいと思ってくれるようになればいい。
 学校ボランティアをしていると、時折、子供たちから感謝の便りが届く。自身の子供が学校を卒業したのははるか昔だが、こうした学校との新たなつながりは高齢者に生きがいをもたらす。学校も地域の支えなしには運営が難しいであろう。日本の地方が直面している課題を解くカギの一つが、集落営農の振興にあるように思う。

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