夜空を焦がす鞍馬の火祭/京都市左京区
平安時代の由岐明神遷宮から
由岐(ゆき)神社(京都市左京区鞍馬本町)の例祭である「鞍馬の火祭」が10月22日夜、斎行され、鞍馬寺山門前に集まった大松明の炎が秋の夜空を焦がした。鞍馬の火祭は平安期の天慶3年(940)、世の平安を願う朱雀天皇の勅によって、それまで御所に祀られていた由岐明神を都の北方に当たる鞍馬の地に遷宮した時の様子を伝えており、日本三大火祭りの一つに数えられている。
街道筋にある鞍馬の集落では、午後6時ごろ「神事に参らっしゃーれ」という神事触れ(じんじぶれ)の声が上がると、家々の前に一斉にかがり火がともされた。黒の締め込みをした一見、漁師や水手(かこ)風の装束の男衆が、燃える松明を担いで山門を目指す。大人たちと子供たちはそれぞれ大小の松明を担ぎ、「サイレヤ、サイリョウ!サイレヤ、サイリョウ!」の掛け声を発しながら練り歩いた。
この掛け声は、御所から由岐明神が遷座してくる祭列を迎える時、村民たちが「祭礼やー、祭礼よー」と、触れ回った喜びの声に由来する。その祭列は神道具などを携えて1キロにもおよび、村民たちは鴨川の支流である高野川に生えていた葦の茎を束ねて松明がわりにして迎えたことを後世に残そうと、この火祭は続けられてきた。
午後9時過ぎ、石段の上にある鞍馬寺山門前に男衆が、燃えさかる20本の大松明を運び込んだ。大松明は重さ100キロにもなり、燃える勢いを押さえるために水がかけられたが、それでも音を立てて燃え上がり火の粉が舞った。松明を倒さないようにと支える男衆の汗と、ひしめく男衆と松明とにかける水とが湯けむりとなって立ち昇った。
所狭しと林立して燃える松明が最高潮に達した後、太鼓の合図によって「注連縄切りの儀」が行われ、階段両側に立つ精進竹に張り渡された注連縄が切られ、これによって松明の祭から神輿の祭へと移り変わった。
石段上の山門前に着座していた2基の神輿を男衆が担ぎ上げ、さらに神楽松明4本が加わって、担がれた神輿が参道の石段を下りてきた。2基の神輿には、由岐神社の祭神である八所大明神と由岐大明神がそれぞれ遷座していて、神輿の上には鎧武者が乗る。また神輿が石段を急に下らないようにと若い女衆が神輿綱を上から引っ張っていた。神輿の上に人が乗り、女性も参加するのがこの祭の特徴で、神輿綱を引くと安産になるとされ、多くの若い女性が参加していた。
また、神輿が石段を下る時には「チョッペンの儀」と呼ぶ当地の成年儀礼が行われた。「チョッペンの儀」ではこの年に成年となる男性2人が、それぞれ神輿の担い棒の先端に、締め込み姿で臀部を前に向け両足を天に上げて開いてぶら下がり、「逆大の字」の姿を見せながら神輿とともに階段を下る。
神輿は階段を下り、街道筋を巡幸して御旅所に着座し、三顧の礼で祝されて、祝詞が奏上され、4本の神楽松明が境内を回って神楽が奉納された。今年は特に外国人が多く、山門や沿道から多くの参拝客や観光客が火祭りを堪能していた。