美術「明治を描く-壁画に挑んだ画家たち-」明治神宮ミュージアム
10月12日から12月1日まで、東京都渋谷区の明治神宮ミュージアムで企画展「明治を描く-壁画に挑んだ画家たち-」が開催されている。
明治神宮外苑の中心施設である聖徳記念絵画館には明治天皇・昭憲皇太后の御事績を描いた80点の巨大壁画が掲揚されている、これらは明治時代の様々な出来事が描かれたもので、近代国家の礎を築いた明治という激動の時代を雄弁に物語っている。その壁画の裏には制作に精魂を込めた画家たちの並々ならぬ努力があった。
画家たちの苦心譚として編集されていた壁画制作の記録は世に出ることはなかったが、後年草稿の一部が『明治神宮叢書』で翻刻された。そして近年、失われていた草稿が発見され、壁画についての制作背景が明らかになった。同ミュージアムの企画展示室では、明治神宮国際神道文化研究所と明治神宮ミュージアムの共同調査・研究の成果として、新たに発見された草稿を含む「壁画謹製記録」の魅力を紹介し、明治神宮に所蔵されている壁画の下図や関連した所蔵品を展示している。
『壁画謹製記録草稿 江戸城開城談判』(明治神宮所蔵 笹川種郎、秋庭義次 昭和前期)の草稿群には、西郷隆盛と勝海舟の会談の様子、特に画題である二人を描く際の苦心が記されている。特に西郷の容姿については、写真が1枚も残されていないため、不明な点が多く、土佐の中岡慎太郎の書簡から体格、西郷家家扶への取材から髪型、そして上野公園の西郷隆盛像を参考にし、その肥大な体格のモデルとして元力士の伊達錦武が西郷に扮したと記録されている。
『壁画謹製記録草稿 中国西国巡行鹿児島帰着』(明治神宮所蔵 笹川種郎、秋庭義次 昭和前期)には、鹿児島市が「此(明治天皇の鹿児島訪問)の栄光を永遠に伝へんがために壁画奉納の申込をなし、揮毫者は同県出身の山内多門画伯を選定した」と記述されている。他にも山内多門画伯、門人の大野重幸と山下巌が調査した、当時の様子や服装などが詳細に記されている。
『壁画謹製記録草稿 西南役熊本籠城』(明治神宮所蔵 笹川種郎、秋庭義次 昭和前期)は、秋庭が執筆した草稿に壁画の作者・近藤樵仙がその制作過程を自筆で記録した手紙を収録したものである。
西南の役で熊本に籠城していた谷干城は結局西郷隆盛の猛攻に耐え、政府軍の勝利に貢献した。同展で展示されている『谷干城 遺墨「似従軍諸子」』(明治神宮所蔵 谷干城 明治10~25年頃)はその谷の書であり、亀山や熊本の戦いを思い出して作詩したものと思われる。そこには「亀山・熊本城でのことを君は言う事を止めよ。生き残った者は死んだ者の勲功に及ばない」という内容が書かれている。谷は明治17年に第2代の学習院長となり、華族の子弟教育を推進した。
山口蓬春画伯による壁画『岩倉大使欧米派遣』制作を特集したコーナーでは、作者や時代背景についての説明があり、また、壁画謹製記録草稿をもとに下図、参考にした書籍や資料などを紹介している。
会期:令和6年10月12日(土)から12月1日(日)まで(休館日:木曜日)
会場:明治神宮ミュージアム(明治神宮境内)
開館時間:午前10時から午後4時30分まで(入場は閉館の30分前まで)
お問い合わせ:03-3379-5875