青春の記憶

2024年9月10日付 815号

 天地子の個人的すぎる話。ひと月前、学生時代の女友達から57年ぶりに便りがあり、病気をして先が短いかもしれないので一度会いたいという。恐る恐る妻に見せ、了解を得て岡崎に出かけた。別に三河一向一揆の寺をめぐりたいとの〝不純〟な動機もある。
 名鉄東岡崎駅南口に車でやってきた彼女は、白髪の老婦人になっていたが、笑顔は19歳のまま。10年前に亡くなったご主人が残した畑の仕事帰りによく寄るという、学食風の店で朝食をとりながら、昔話。
 誕生日は天地子より7日早いお姉さん。習いたてのドイツ語で手紙を書いたら、赤ペンで添削して帰って来たというと、「覚えてないわ」。嵐山に行くのに京都駅で待ち合わせた時、迷子にならないようにと赤いブラウスを着てきたねというと、それも記憶にない。彼女が覚えていたのは、寮から下宿への引っ越しを、天地子がリヤカーを引っ張り手伝ったこと。それはこちらが覚えていない。青春とはなんて自分勝手なのだろうと、改めて思った。
 岡崎には蓮如が開いた本宗寺をはじめ本證寺(安城市)、上宮寺、勝鬘寺の一揆の拠点になった三か寺がある。それを全部回ると、こんなに運転したことないわと疲れ果てていた。
 近松門左衛門の研究で国文科を卒業し、高校の国語教師を15年。母の介護で退職し、その後、私立高の非常勤講師を8年。矢作川の支流を見下ろすお店で、カレーを食べながら57年の人生に耳を傾けた。過去を共有する人に会うと、よみがえる記憶もある。こんな風に年を取るのも悪くないと思った次第。

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