集落営農で食料安全保障を

2024年9月10日付 815号

 8月下旬から9月初旬にかけ、スーパーなどの食品売り場からコメが消え、いつかコメが自給できなくなるかもしれないとの不安が国民の頭をよぎった。農業人口の高齢化と減少で、コメの生産量は毎年減少しており、既に予想されていたことだが、昨年の猛暑による減収と、今年の新米が出回るまでの端境期で、一時的にコメ不足になったのである。
 去る5月、「農政の憲法」とされる食料・農業・農村基本法が1999年の制定から四半世紀ぶりに改正され、食料安全保障の確保が基本理念に加えられた。農水省によると、カロリーベースでの日本の食料自給率は38%だが、鈴木宣弘東大教授は、肥料や種子を含めるとわずか10%だという。
 こうした事態は、戦後の占領政策で米国の余剰小麦など農産物の大量輸入に踏み切り、食料を海外に頼るようになった政策の結果である。それが、コロナ禍に中国の爆買い、異常気象にロシアのウクライナ侵攻が加わり、化学肥料や家畜の飼料、小麦、大豆、トウモロコシなど農産物の高騰を招いた。国際市場での日本の「買い負け」が増え、世界の食料を自由に買うことができなくなったのである。

食料自給率は10%
 鈴木教授は、一般会計に占める農林水産予算の推移をみれば、こうなった原因が分かるという。対1970年度比で、総予算は14・4倍。防衛省は17・9倍、文科省は5・8倍、厚労省は27・2倍だが、農水省は2・3倍にすぎない。分かりやすく言うと、自動車を輸出しやすくする代わりに、農産物を犠牲にしてきたのである。
 基本法を見直した意義は、世界的な食料需給情勢の悪化を踏まえ、市場原理主義の限界を認め、肥料、飼料、燃料などの暴騰にもかかわらず農産物の販売価格は上がらず、赤字にあえぎ、廃業が激増している農家への支援を強め、不測の事態にも国民の命を守れるよう国内生産への切り替えを進め、食料自給率を高める抜本的な政策を打ち出すことにある。重油や化学肥料、配合飼料の値上がりに比べ、農産物全体の価格上昇は低いままで、そのギャップは拡大し続けている。要するに政策の問題なのである。
 農業就業者一人当たりの農業予算額は、米国を100とするとイギリスは21・4、フランスは32・5、ドイツは22・5だが、日本は9・9にすぎない。一農業経営体当たりの直接支払額は、米国を100とするとイギリスは114・9、フランスは106・3、ドイツは121・7だが、日本は59・5にすぎない。自由貿易を唱えている欧米の方が、はるかに多くの補助金で農家と食料の国内生産を保護しているのである。鈴木教授は、「欧米は『価格支持+直接支払い』を堅持しているのに、日本だけ『丸裸』だ」と農政を批判している。日本の農業は過保護という国民の印象は正しくない。
 もっとも政策の転換は容易ではないので、国民一人ひとり、あるいは地域の努力でできることを考えてみよう。例えば、学校給食には少し値段が高くても地域で取れる産品を使うという地産地消の普及である。パン用小麦の生産技術も向上し、輸入品に対抗できるようになった。
 コシヒカリは早期米で4月から5月の連休が田植えのピークだが、次いで6月まで田植えできるヒノヒカリなどがあり、労働を分散させることで軽減できる。麦や小麦は畑作だけを続けると連作障害が生じ、雑草に悩まされるが、水稲や水張を挟むことで、その抑制が可能になる。田んぼの土質にもよるが、いわゆる二毛作である。
 台風などの水害で提唱されているのは流域防災で、水田には田んぼダムとしての機能もある。一定期間田んぼに水をためることで、下流域の水害を防ぐことができる。これは植林も同じで、要するに農村の伝統的な風景を守ることが食の安全から国土の安全にまでつながっている。

農業で国土を守る
 市場経済に任せると、農業人口の減少は止められない。農機具をはじめコストがかかりすぎ、機械化やスマート化を進めても肉体労働は残るからである。一つのヒントが、農水省と厚労省が始めている農福連携で、福祉の発想を農業に取り入れること。例えば、健康長寿型の集落営農を広げればどうだろう。
 土に触れ、作物を育てる作業は、仏教の作務に似て、心と体の健康を増進する働きがある。経験した人は分かるが、縄文時代の日本人の血がよみがえってくるのかもしれない。高齢化社会の一つの生き方として、若者だけでなく高齢者の農業参入も福祉になるだろう。
 つまり地域に根差した集落営農で、形態は会社組織でもいい。定年後は職住接近の農業で、年金+αの暮らしと、仲間との交流を楽しもうという人が増えれば、結果的に日本の国土も守られる。その基本は郷土愛だろう。身の回りをきれいに、便利にする日々の営みから始めたい。

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