『蒼穹の昴』『鉄道員(ぽっぽや)』浅田次郎(1951~)
連載・文学でたどる日本の近現代(48)
在米文芸評論家 伊藤武司
『蒼穹の昴』
直木賞作家・浅田次郎は1951年、東京都中野区の生まれ。山の手や下町で引っ越しを繰り返し、生粋の都会っ子として成長した。幼少から本の虫で、入学した私立中学を読書の時間がとれないとの理由で転校している。両親の離婚など複雑な事情もあった。雑誌の初投稿は13歳で、高校卒業後、数年、自衛隊に入隊したのも異色。祖母に連れられ歌舞伎を観ていたのは、一世代上の円地文子と似ている。
除隊後、職業を遍歴しながら習作・投稿し、デビューは41歳の『とられてたまるか』。平成6年、吉川英治文学新人賞を『地下鉄(メトロ)に乗って』で獲得した。2年後、『蒼穹の昴』を刊行。直木賞の声もあったが否定的な評も多く、及野アサのサスペンスミステリー『凍える牙』との同時受賞はならなかった。浅田は翌年、短編集『鉄道員(ぽっぽや)』で堂々と直木賞を受賞。文章の魅力やしみじみと人の情を描写できる点を、選者の多数が高く評価した。作品は日本冒険小説協会大賞も得ている。
浅田は時代小説、歴史小説、推理小説、エッセーを中心に創作し、その力量は数々の受賞歴が物語っている。本人は「道楽」の創作だと言うが、映画・テレビドラマ化され、人気を博したのだから作家冥利に尽きよう。
長大なエンターテインメント『蒼穹の昴』は、アヘン戦争、太平天国の乱、清仏戦争、列強の進出や天津租界、戊戌の政変に乾隆帝、西太后、光緒帝、曾国藩、李鴻章、袁世凱ら中国史を彩る人物を軸に展開する。19世紀末の大清国・光緒12年(1886)から光緒24年(1898)、明治19年から31年までを一区切りとするステージは、西太后が権勢を誇り、清国が「衰亡の道」をたどる衰退の時代。物語は著者の自在な想像力と大胆な構想により、2人の中心人物を配剤してベストセラーに。2010年、日中合同でテレビドラマ化され、両国で上映。宝塚歌劇団でもミュージカルが上演された。
第一章「科挙登第」で貧しい家に生まれた李春児は10歳の時、星占いの老婆に、「昴の守護星」の下に生まれた人間は、紫禁城奥深くで治世する皇帝に仕え、「あまねく天下の財宝を手中に収むる」と告げられる。大きな夢と希望、「心の殻を割って噴きあがる、赫かしい」感動に包まれた春児は、科挙の試験に望む文秀の従者として都に上る途中、宦官のトップ李蓮英の行列に偶然出くわす。
「後宮への道」に憧れた春児は、恐怖の「浄身」で宦官に変身、「立身のために進んで男を捨て、後宮の奥深くに仕える」道を選んだ。やがて血と汗の3年の修業で曲芸団の立役者に這い上がり、宮廷の晴れ舞台で西太后の眼にとまり仕えることに。
大地主・粱家の文秀は息が合う春児を年上の兄貴分としてかわいがっていた。文秀も若い頃、星占いの女から「天子のかたわらにあって天下の政を司ることになろう。…汝は学問を琢き知を博め、もって帝を扶翼し奉る重き宿命を負うておる」と知らされていたのだ。
郷試に合格し、きままに暮らしていた文秀は一念発起、官吏の登竜門をめざして奮闘する。20歳で科挙の試験を突破し、「2万余の挙人」を凌いで「進士」に。その先には大清国を治める為政者の道が開かれている。
文秀にも哀しく無念な過去があった。「生母は朱妾と呼ばれた美しい人であった。江南の貧しい村から梁家に婢として買われ、やがて父の種を宿し、文秀が千字文を習い始めたころ、はたちそこそこの若さで死んだ」。生前、「婢に甘んじ…第二夫人として遇されることも」なく、「粗末な蒲団を被せられ」て息を引き取る。朱妾の死の間際まで、文秀は実母だとは知らなかったのだ。
「蒼穹の昴」シリーズは、『珍妃の井戸』、吉川英治文学賞の『中元の虹』『マンチュリアン・リポート』『天子蒙塵』『兵諫』までの全6部からなる。感銘するのは、科挙の「厳格にして神聖」な採点や、宦官になるために「男性をすてる」秘儀など、清朝の精髄や伝統を描くため文献を深く読み込んでいること。
浅田の特徴は無力な庶民や弱者に寄り添いながら、そんな境遇から這い上がり、国家の中枢部へのぼりつめる心意気に情熱を注いでいる。「この20年の間、いったい何が起こった。内乱と、外国からしかけられた理不尽な戦。その結果もたらされたものは、民衆への弾圧と不平等条約だけさ。そして不幸の原因はすべて我らのうちにある」という王逸の言葉は浅田の視点でもあろう。
架空の主人公たちが紫禁城内外の文人官僚・宦官たちと確執し、「帝党」派の新勢力と「后党」派の旧勢力が陰湿に争う中、躍動するドラマに読者は感動するのである。痛快なのは後半部で、宮廷上層部での陰謀・密議や駆け引き、謀殺事件にテロやクーデターなどとボルテージが上がり、推理小説かと見まごう展開となることである。
平成の泣かせ屋
浅田の創作の特徴は、登場人物の精細な描写と、個性的で飽きさせない語り口と文章を絶妙な筆使いで仕上げ、映像化、ドラマ化された作品も多い。また「平成の泣かせ屋」ともいわれる自己表現を手中にし、幅広いジャンルで感動と笑いの名作を生んでいる。
柴田錬三郎賞の時代小説『壬生義士伝』は、子母澤寛の『新選組始末記』を参考にしたという。盛岡藩を脱藩した下級武士・吉村寛一郎は、貧乏に苦しむ家族を養うため、新選組に入隊し蔑まれながらも人斬りを請け負うのである。
本屋が選ぶ時代小説大賞の『一路』は、徳川家茂の治世、西美濃の主君に仕える中山道の参勤の共頭・小野寺家の嫡男が主人公。現代作品には短編集『月のしずく』、『天国までの100マイル』、『闇の花道』、『残侠』、短編集『姫椿』。『椿山課長の七日間』は死後の世界を舞台に、主人公の人生がユーモア、涙と共に奥深さを感じさせるファンタジー。
短編集『お腹召しませ』は中央公論文芸賞、司馬遼太郎賞を獲得。幕末期、家を守るために部下や家族から切腹を勧められる高津又兵衛を通し、「武士の本義」を問うた。新選組の時代小説『輪違屋糸里』。50万部売れた戦争物の『日輪の遺産』は終戦間際に計画された軍部の動きを読みほどく作品。
毎日出版文化賞『終わらざる夏』は、沖縄が陥落した年の夏の話。アメリカ移住が夢であった片岡にも召集令状が来た。戦争の理不尽さを訴え、人間本来のあり方を思考する。人生の哀歓を語る『夕映え天使』。大佛次郎賞の編集『帰郷』は、悲惨な戦争体験を通じ戦争の意味を問うている。近年では『流人道中記』や『母の待つ里』、『真夜中の喝采』などが評判作になっている。
『鉄道員(ぽっぽや)』
『ぽっぽや』は平成7年に発表。「18時35分発のキハ12は、日に三本しか走らぬ幌舞行の最終だ」。この気動車は「朱い旧国鉄色の単行ジーゼル」で、運転台には昭和27年制作のプレートがついている。仙次はこの「老いた気動車」の乗務員。「出発、進行ォ!」、「軍手を穿趵(はき)、庇のゆがんだ濃紺の国鉄帽を冠り、しっかりと顎紐をかける。油にまみれた男の匂いが」やせた長身の彼を奮い立させるのである。ジーゼル気動車は雪原へ滑りだすと「トンネルを抜けるたびに雪は深みを増してゆく」。キハ12型は老いた笛を山々に谺させた。
北海道の「美寄駅」を始発とするローカル単線、全長21・6キロの沿線には六つの駅があり、終着駅の「幌舞」はボタ山ばかりが目立つ寒村。10年前までは「デゴイチ」が石炭を満載して走る有数の炭鉱町として栄えていたが、「それが今では、朝晩に高校生専用の単行気動車が往復するだけ」の赤字路線。途中駅は無人というありさまで、廃線がささやかれているローカル線である。「粉雪の降りしきる終着駅」が近づいてきた。外気20度の幌舞のホームには老いた駅長がいつものように「カンテラを提げて立っていた」。
日本社会では70年代初頭から国鉄の赤字路線経営が問題になり、80年代には路線の廃止とJRの民間化が進められた。JRになっても赤字ローカル線の廃止が相次ぎ、殊に北海道旅客鉃道の経営は困難を極めた。こうした状況を背景に、浅田は赤字ローカル路線で働く地元の人間たちの哀感を活写し執筆した。
幌舞は年寄りばかりが住む100軒ほどの寒村。「明治以来北海道でも有数の炭鉱の町として栄え」、「デコイチが、石炭を満載してひっきりなしに往還したものだった」が、幌舞駅前の「よろず屋は、軒を傾がせたまま灯を消していた」。「大正時代に造られたままの、立派な造作」の駅舎の待合室はガランとし、事務所から「物哀しい演歌が流れてきた」。駅員のいない駅長は「60のやもめ暮らし」の定年まぎわの乙松である。
「ぽっぽや」の由来は、蒸気機関車が「ポッポー」と鳴ることから「SLの機関士」につけられたニックネームである。「ポンコツ」のイメージのSLとは対照的に、本線では「ガラス張りのリゾート特急」が颯爽と走っているのだ。筆者は、時代の波に取り残されてゆく乙松のような寡黙、一徹な人間と、新しい波に乗って進む若いエネルギーを発散する秀男の世代の対比を鮮やかに描く。秀男は仙次の息子、札幌本社の課長のポストに決まったばかりの大学出の優秀な青年で、乙松を親しみを込め「おっちゃん」と呼ぶ。
古き良き時代の郷愁や感傷に浸れるのは、昔から一緒にやってきた駅長服のよく似合う乙松と気動車乗務員の古顔・仙次くらいしかいない。「ぽっぽや」として蒸気機関車とデコイチで10年間働いた二人は気心なく話し合える仲である。しかし仙次は来春、美寄の近代的駅ビルへの異動が決まっている。
ストーリーはレトロ風の物憂い流れが淡々と連続する。生後2か月で死なせてしまった「ユッコ(雪子)」の父・乙松は子煩悩で、村の子供たちをみかけると、娘も生きていれば17になるなと感傷に耽るのである。
年が明け、待合室に見なれない姉妹3人が「セルロイドの人形」を置き忘れたと入れ替わりに駅舎に現れた。夢幻のような光景に乙松は、どの家の孫娘たちかと思案するが思い出せない。「その日、幌舞は時も場所もわからぬほどの吹雪になった」。くったくなく笑いしゃべる少女たちとのなごやかな交歓は、当作屈指の名場面。乙松の純朴な風姿が人生最後のシーンとして立ち上る。
過ぎ行く時代に哀愁感を重ねたストーリー、デコイチ、SLへの憧憬、乙松や仙次など人情味のある善人たちの温もりが身近に伝わる名作で、映画化され、日本アカデミー賞に輝いた。
浅田は、大衆文学、歴史・時代小説の大家として、柴田錬三郎賞、山本周五郎賞の選考委員を兼任し、2011年から6年間、日本ペンクラブ会長を務め、現在は直木賞選考委員である。
(2024年8月10日付 814号)