英霊に感謝、春季例大祭/靖国神社

慰霊と平安への祈り

参向する勅使筑波和俊掌典、随員

 東京都千代田区の靖国神社(山口建史宮司)で令和5年春季例大祭が4月21日の清祓から始まり22日の例大祭までの2日間斎行された。多くの参拝客が訪れ、外国人観光客も増え、コロナ禍以前の水準に戻っていた。
 春季例大祭に合わせ、岸田文雄首相は21日、「内閣総理大臣 岸田文雄」名で神前に「真榊」を奉納した。その他、加藤勝信厚生労働相も真榊を奉納した。高市早苗経済安全保障担当相は21日に参拝し、超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の87人の国会議員も21日に一斉に参拝した。皇室からは22日の午後に瑤子女王殿下が参拝された。
 午前10時、多くの参拝客が見守る中、大太鼓が静寂な境内に鳴り響き、宮司・神職が参進、本殿所定の座に着いた。國學院大學吹奏楽部による国歌奉奏に続き本殿内陣の御扉が開かれ、神饌が供せられ、初獻の神酒を奠した。宮司が神前で祝詞を奏上し、英霊に感謝の誠を捧げた。
 二獻の神酒を奠した後、勅使(筑波和俊掌典)が御幣物を奉って参向、本殿所定の座に着く。宮司は御幣物を神前に奉奠した。勅使は神前に進み御祭文を奏上し、玉串を奉って拝礼した。
 勅使・随員下向後、フォイエルコール混声合唱団による「鎭魂頌」「靖國神社の歌」の合唱が奉奏され、三獻の神酒を奠した後、宮司が玉串を奉って拝礼した。宮司に続き特別参列者及び崇敬者総代が本殿に進み、玉串を奉って拝礼。午後3時、御幣物、神饌が徹せられ、宮司が御扉を閉じ春季例大祭当日祭は滞りなく修められた。
 山口宮司は次のように御礼の挨拶をした。
 「激動する世界情勢の中で、御祭神は祖先から受け継がれてきた日本を守る使命を担い、国のため、肉親のため、愛する人々のために、艱難辛苦を耐え忍び、尊い一命を捧げて尽くされた。その『みたま』は靖國神社に祀られ、毎日毎日奉慰顕彰の厳粛な祭祀を執り行い、時代を超えた慰霊と平安への祈りが積み重ねられている。明治天皇の御製『我國の為をつくせる人々の 名もむさし野にとむる玉かき』これからも祭祀の厳修はもとより、多くの方々に、当社創建の理念や御遺族の心を伝えたい」と語った。
 春季例大祭の期間中、境内では各流派家元による献華展、能楽堂では各種奉納芸能が行われ、古武道、居合道、剣舞術、日本舞踊、大正琴、講談、江戸芸かっぽれ、琉球舞踊、連吟、仕舞、琵琶楽、合唱、吹奏楽、浪曲が能楽堂で奉納された。

戦艦「武蔵」艦長・猪口敏平海軍中将愛用のシャープペンシル

 境内にある遊就館では特別展「海鳴りのかなた─波間より現れる戦中の記憶─」(後期展示)が12月3日まで開催されている。
 水中写真家の戸村裕行氏の協力で、世界各地に沈んでいる軍艦の写真と引き揚げられた品、沈没した戦艦や輸送艦の映像や国内外の沈没艦船の分布地図が展示されている。
 また、戦歿した英霊が戦時に対峙した決意、国や愛する家族を護るため軍務や訓練に立ち向かう姿を、記録や遺品から辿る。戦艦「武蔵」艦長の猪口敏平海軍中将は昭和19年10月24日、レイテ沖で敵機の集中攻撃を受け、沈没寸前に手帳に遺書を残し、愛用のシャープペンシルと共に副長の加藤憲吉海軍大佐に託した。人間魚雷「回天」で戦死した今西太一海軍大尉、沖縄本島周辺で巡洋艦を撃沈した片山勝義陸軍大尉などの遺品、「みたまたちの最期の瞬間」では海に散った英霊の日記や手記が展示されている。