秩父今宮神社の龍神祭

龍神様の御霊を慰め、恵みに感謝/埼玉県秩父市

玉串を奉って拝礼する塩谷崇之宮司と祭員

 4月4日、龍王神の神徳、水の恵みに感謝する「龍神祭」が今宮神社(塩谷崇之宮司)の大ケヤキ「龍神木」の前で斎行された。同日午後、秩父神社(薗田建宮司)から神部の一行を迎え、田植えのため霊水を分ける「水分神事」が古式ゆかしく行われた。同社では水を司り、水分の神である八大龍王神が祀られ、境内の龍神池には秩父の霊山・武甲山からの伏流水が噴き出している。茅の輪はコロナ禍が終息するまで設置され、疫病退散と無病息災の祈願が続く。
 午前10時半、春風が吹く晴天のもとで参列者が見守る中、祭事が始まった。幹回り約9メートルの大ケヤキは樹齢約1300年で埼玉県の天然記念物。修祓の儀、祭主一拝、献饌の儀。祭主・塩谷宮司が祝詞を奏上した後、導師の中村慶海直参大先達、瀧田顕浩大先達(本山派修験)の主導で参列者一同が般若心経を奉読した。
 巫女の「豊栄舞」奉奏、歌手の柚楽弥衣氏による歌唱が奉納された後、宮司が玉串を奉って拝礼した。次いで参列者の玉串拝礼が行われ、氏子総代、奉賛会会長代理、北堀篤・秩父市長、中井徳太郎・前環境事務次官、山田邦博・前国土交通事務次官、中町町内会役員ら代表者が玉串を奉って拝礼し、一般参列者がそれに続いた。撤饌、祭主一拝で龍神祭は滞りなく修められた。
 挨拶に立った塩谷宮司は参列者に感謝の言葉を述べた上で「江戸時代まで続いていた龍神祭を平成の御代になって復活させた。神道式で祝詞を奏上し、般若心経を唱える。八大龍王は神様だが、釈迦に帰依して観音様の守護神となられた、法華経に出てくる神様。山伏の般若心経、奉納舞、歌の奉納を通して龍神様の御霊を慰め、恵みに感謝し、力を発揮していただく。水分祭に先立って行われる龍神祭は水に感謝する祭りだ。武甲山から流れてくる水が荒川にそそぎ、関東平野を潤し、江戸・東京の町を潤す。水が身心を潤し、穢れを祓い、災いを起こさせないよう日々の祈りが大切だ」と述べた。

巫女による豊栄舞の奉奏

 来賓挨拶で中井徳太郎・前環境事務次官は「地球環境が大変な状況で、災害が多発している。日本人は自然、水と一体だと思ってきた。神様、水、自然を味方にして未来につなげたい」と、山田邦博・前国土交通事務次官は「昔の人は川を見て龍を連想した。災害の時には怖い八岐大蛇になり、水がないときには龍神様から水をもらえた。昔は皆で飲み水などについて考えていたが、明治から水は国の仕事となってしまった。こういう祭りは非常に有意義である」と話した。
 古くから霊泉が湧く今宮神社の地にはイザナギ・イザナミの神が祀られていた。当地の暴れる龍を、大宝年間(701~704)に飛来した役行者が、仏法を守護し観音菩薩の宝珠(魂)を宿す八大龍王を合祀して鎮め、八大宮を建立し、秩父霊場を開いたとされる。
 当初は修験の寺で、後に「今宮坊」と呼ばれ、平安時代には寺院や神社が立ち並ぶ一大修験道場・観音霊場を成していた。江戸開幕期から京都・聖護院の直末寺として隆盛を極めたが、明治初めの神仏分離により、今宮坊は「今宮神社・八大宮」と「今宮観音堂(秩父札所十四番)」に分けられた。戦後、境内が無償開放され、平成に八大龍王の復興が進められ、行者堂、手水舎、お札場などが整備された。
 武甲山は古くから妙見信仰が根付き、八大龍王が妙見菩薩の守護神であることから、今宮神社では平成元年より毎年、龍神祭を行い、近年はパワースポットとしても人気が高まっている。本山派修験の中村慶海直参大先達、瀧田顕浩大先達は、龍神祭当日、祭りに先立ち境内の役小角大神に祈祷を捧げた後、式典に参加している。
 同日午後2時、白装束で鍬を担ぐ農民に扮した秩父神社の氏子たちの神部(かんべ)一行が今宮神社に到着すると、水乞いに来た秩父神社一行に同社から龍神池の御神水(武甲山伏流水)を授与する「水分神事」が社殿で行われた。
 水麻(みずぬさ)授受の儀で、神部代表の黄色装束の作家老(浅見弘氏)が水麻を秩父神社の大澤孝禰宜に渡し、さらに今宮神社の塩谷宮司に渡され、本殿に奉斎された。八大龍王の御神徳、水の御恵みを宿した水麻が、今宮神社宮司から秩父神社禰宜へ、さらに作家老へと授与され、祭主一拝。水分神事は滞りなく修められた。

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