ハーンの見た仙洞御所

連載・京都宗教散歩(16)
ジャーナリスト 竹谷文男

ラフカディオ・ハーンの銅像=松江市

 京都市内にあって市民の憩いの場となっている京都御苑の中には、御所、仙洞御所・大宮御所、および近年開館した迎賓館がある。中でも庭園の美しさで有名なのは仙洞御所である。
 明治時代に来日し、帰化した作家ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は1895年(明治28年)秋、京都見物をしてその様子を『京都紀行』というエッセイに書き残した。当時松江に住んでいたハーンが京都に来た目的は、今で言う京都三大祭りの一つ「時代祭」の見物だったが、この時、仙洞御所が一般に公開されることになり、ハーンは足を運んだ。
 日本語に堪能だったハーンは、「仙洞」の意味を「仙人が住む洞窟」と解釈していた。そして、仙洞御所が「世の栄華に飽きた天皇や皇子が世を逃れて出家隠遁するところに建てられた一個の僧院だった」(『京都紀行』)と的をはずさずに理解していた。
 仙洞御所自体は、後水尾天皇が退いて上皇となった江戸時代初期に完成したが、その後火災により御殿は焼失、再建後またも大火により焼失してからは造営されないままとなった。現在の仙洞御所には二つの茶室以外に御殿の建物はなく、敷地の東側に南北に展開する広大な庭園が往時の面影を残している。この庭は現在、一般公開されていて人気が高く、見学には宮内庁に事前に申し込む必要があるが、スマホからも簡単に申請できる。
 許可されて仙洞御所に入ると、宮内庁のガイドが案内してくれる。ガイドに従って大宮御所の車寄せの前を通り、くぐり戸を抜けると、二つある池のうち最初の北池に出る。北池を回る遊歩道には小さな六つの橋が架かり、それらを渡りながら一回りすると南池に出る。南池にも幾つかの橋があり、最初にいなずま状に組まれた「八つ橋」と呼ばれる大きな石橋を歩く。この橋の上には藤棚が設けられ、四月の終わりになると見事な藤の花が垂れる。

織部の切支丹灯籠=仙洞御所醒花亭の前

 南池を半周すると、南側に建つ醒花亭(せいかてい)と呼ぶ茶室にたどり着く。室内には「醒花亭」の名の由来である李白の詩の墨書が掛かっている。醒花亭からは南池の全景が広がり、また、亭の前には上部が左右に膨らんで十字架を模したような燈籠、いわゆる「織部の切支丹灯籠」が立っている。下部にはマリア像とおぼしき浮き彫りが、半分ほど地面から顔を出している。茶室からは、この切支丹燈籠を拝して北の方向に池を眺め、その借景は北山である。
 仙洞御所の作事奉行だった小堀遠州は江戸寛永年間に、もともとの庭園にあった二つの池を掘で繋いだ。ハーンはこの庭園に一歩踏み入れてすぐ「林泉のもつ深い幽寂の美と仏教的な妖しい魅力」を感じとり、「この庭園は最初に作られて以後千年の自然の力によって、あるがままに任せられ」、「自然の成り行きによる完成に任せられた原生林であるかのよう」(前掲書)だと表現した。ハーンは、遠州によって作庭されたにもかかわらずこの庭が、太古からの時間の流れによってのみ完成した原生林であるかのような印象を抱いた。
 ハーンは仙洞御所の庭に「幽寂」を感じたのであるが、同様に三島由紀夫はエッセイ『仙洞御所』の中で、「極めて明るく現実的な神秘」と表現し、その根源は「地上の権力の彼方にある安息の象徴」であると書いた。さらにハーンが「自然の流れによって完成した」と表現するこの庭の対極にある庭として、三島はヴェルサイユ宮殿の庭を挙げて「もっともギリシャ・ラテン的な理智の結晶としての庭」であり、「それのみが日本の宮廷の庭の、正当な対蹠点(たいせきてん)に立っている」と比較した。
 また、ハーンはこの庭が、時間の自然な流れを常に受け入れてなお完成に向かっている印象を持ったのであるが、三島は比較してヴェルサイユの庭について「ルイ太陽王の御代とはこのようなものであり」、「侵蝕する時間の要素を除去して、歴史をこの空間の中へ閉じ込め、密封し、停止させてしまう」(『仙洞御所』)と書いた。これは、栄華を諦めて僧院に隠遁した上皇の好む庭と、王権の絶頂にあってその支配を顕示しようとした太陽王の庭園とに流れる両者の時間の違いなのだろう。

仙洞御所の北池

 仙洞御所は京都盆地の真ん中にあるため、三つの異なる借景が可能となる。それらは現在では高く繁った木々に遮られて見えないが、三十六峯として知られる東山連峰、福井県まで続く山塊が壁のように立ち塞ぐ北山、そして愛宕を主峰とするたおやかな西山連山の三つである。局限された庭は借景に溶け込み一気に空間の中に広がる。こうして無辺の空間を持った庭はまた、無窮の時間の流れを無意識下に想起させる。
 ハーンが、庭は千古の昔から変わらず完成に向かって存在し続けてきた印象を抱いたのは、三方に借景を備えて無辺の空間に広がっていくこの庭に身を置いたからだ。三島もまた借景によって空間に解放されてつながる日本の庭について、「終わらない庭、果てしのない庭の発明にあって、それは時間の流れを庭に導入したことによる」(前掲書)と洞察した。(2023年3月10日付 797号)