卯年にウサギ神社へ初詣
京都市左京区の東天王岡﨑神社
2匹のウサギが神の使いとして狛犬の代わりをする岡﨑神社(京都市左京区、通称ウサギ神社)の正月は、今までにないほど初詣で賑わった。同社は、桓武天皇が平安京を延暦13年(794)に開いたとき王城鎮護のため四方に建てた社の一つで、東(卯の方位)に鎮座することから東天王と称された。辺りには野ウサギが数多く住んでいたので、ウサギが同社の神の使いとされた。ウサギ年にちなんでか参拝者の列は終日、鳥居から400メートルほどまで伸びていた。
同社の境内では、赤い目をした愛くるしいウサギの白い石像が対になって参拝者を迎える。このウサギを見て心和ませる人は多い。参拝した後は、ウサギと一緒に記念写真を楽しんでいた。
手水舎には、黒ウサギの石像がこちらにお腹を向けて立ち上がっている。月を仰いで、月の力を体中に溜めているそうだ。この黒ウサギの腹を水をつけてさすると、子宝に恵まれると言われる。手水舎の壁には、ウサギの絵が描かれた“絵馬”が懸けられていて、人々の願いが書き添えられている。また、小さな素焼きのウサギの人形におみくじが入ったお守りも売られていて、多くの参拝者が買い求めていた。
同社から歩いて10分くらいの所には平安神宮(京都市左京区)があって、今年は平安神宮に参拝した多くの人々が、岡﨑神社にも足を運んだようだった。
今年の干支は「癸卯(みずのとう)」。癸は、十干である甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)の最後。十干は、中国の殷の時代に10日を「一旬」とし、それぞれの日に名前をつけたことに始まる。その後、万物は陰陽に分けられるとする「陰陽説」と、すべての物事は木、火、土、金、水の五つの要素からなるとする「五行説」とに結びついて、十干それぞれが意味を表すようになった。
卯は十二支である子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い)の4番目。動物にはさまざまな意味が込められ縁起がよいとされている。
今年の癸卯の組み合わせは、干支では40番目にあたる。癸が水の陰のエネルギーを表し、卯が木の陰のエネルギーを表すという。癸卯の今年は、これまでの努力が実を結び勢いよく成長し飛躍する年になると考えられている。参拝者の多くは、コロナ禍も3年を超え、波状的に起きる大小のコロナ波に耐性を持ちながら、ウサギのように大きく跳躍したいと願っていた。
岡﨑神社の祭神は、速素盞鳴尊(すさのをのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、三女五男八柱御子神(やはしらのみこがみ)。速素盞嗚尊は、天照大御神の弟神で、出雲国の簸の川で十拳剣を振って八俣大蛇から奇稲田姫命を救い、「八雲立つ出雲八重垣妻隠みに 八重垣つくるその八重垣を」と初めて和歌を詠んだと言われている。
同社は建立された後、清和天皇が貞観11年(869)勅命によって社殿を造営、播磨国広峰(現兵庫県姫路市の北方)から祇園牛頭天王(速素盞鳴尊)等を迎えた。また後醍醐天皇が元応元年(1319)に再建している。
同社は、祭神二柱が三女五男八柱神の御子神をもうけたことから、子授け安産の神として、さらに出雲の簸の川で速素盞鳴尊が奇稲田姫命を八俣大蛇から救って姫と結ばれた故事から縁結びの神として、広く崇敬されている。