水をめぐる九頭龍信仰
連載・神仏習合の日本宗教史(9)
宗教研究家 杉山正樹
白山、阿蘇、鹿野山、戸隠、箱根などの山岳霊場は、龍神信仰と仏教が付会・習合した九頭龍信仰で広く知られる。白山は泰澄、戸隠は学問行者が開基とされているが、それ以前の土着の龍神信仰説(『ホツマツタエ』など)も存在する。
龍は伝説に登場する想像上の霊獣で、水神のシンボルとして日本人の生活文化に深く根付いている。南禅寺をはじめ天龍寺、相国寺、建仁寺、妙心寺などには、いずれも圧倒的な筆致で雲龍天井画が描かれ、仏教の守護神として法堂を護る。神社参拝の折には、手水舎で龍を型取った石彫や吐水口に迎えられる。洪水に遭遇した釈迦を龍が救ったという故事もあり、日本人には龍に対する格別の思いがあるようだ。水神のルーツに触れながら、生活の身近に存在する龍神信仰の魅力を探りたい。
水田稲作を中心とする日本人の生活圏において、水神の占める位置や役割は決定的であった。蛇神を水神とし、水源地の池や淵の護り神として祀る伝統は世界の各地で確認される。ところが、もともと古代日本には龍の概念はなかった。
龍は中国における観念上の霊獣で、わが国で龍を祀る信仰は中国文化の影響による。龍神・龍王・龍宮など龍にまつわる数々の伝承は、いずれも蛇神信仰に仏教が付会し、概念が後付けされたものである。稲作を基本的な生業としたわが国においては、それに不可欠な水を司る神として蛇神が信仰され、豊穣と繁殖のシンボルとされていた。その原型は、縄文土器の文様にも見られる。京都の神泉苑には、雨乞いのため空海がインドから善女龍王を勧請したとされる池があり、当時の絵巻物は龍王を蛇の姿で描いている。
猛毒を持ち脱皮を繰り返すコブラは、死と再生をテーマとするインドの宗教観に取り込まれ、「ナーガ」と呼ばれる蛇神となった。ナーガは天候を支配する荒神として描かれ、その怒りは洪水と旱魃をもたらし、なだめられれば慈雨を降ろすという。
インド神話で「ナーガ・ラージャ」と呼ばれる蛇族の八大諸王の門柱の一人「ヴァースキ(和修吉龍王)」と呼ばれる王が仏教に取り込まれ、日本で九頭龍大神の名で信仰されるようになった。中国文化のフィルターを通さず、仏教がダイレクトにもたらされたカンボジアでは、ナーガは長大な胴体を持ち、恐ろしい毒を吐く七頭の蛇として描かれる。『礼記』礼運編に「麟鳳亀龍これを四霊という」とあり、漢訳経典でナーガは鳳凰・麒麟・玄武と並ぶ瑞獣の龍と同一視され翻訳された。この結果、日本の蛇神と習合してその後の龍神信仰を形成したのである。
荒川紘は『龍の起源』(角川ソフィア文庫)で「日本の龍は雨を降らせ農民を助け、中国の龍は皇帝のシンボルとなった。バビロニアのティアマト(tiamat)は、反秩序の象徴であり、インドのナーガは釈迦を護る」と記し、世界各地の龍の性格を比較対照、東洋の龍と欧州のドラゴンの違いを分析している。インドとエジプトにおいて蛇が龍化しなかった理由について、「インドには大型のキングコブラが棲息、エジプトには猛毒をもつコブラが棲息していたため、あえて特別な怪獣を想像する必要はなかった」と結ぶ。龍は、インド以東で聖獣となりインド以西では悪神となった。
天平年間、芦ノ湖には九つの頭を持つ毒龍が荒れ狂い村民を苦しめていた。鹿島神宮寺を建立した万巻上人は、箱根山に入峰し、この毒龍を法力で調伏した。龍は懺悔して宝珠・錫杖・水瓶を以て万巻上人に帰依したので、湖の主・水神として祀る社殿、現・九頭龍本宮が建立された。
龍神信仰の伝承の多くが、徳の高い行者に調伏された龍が帰依、湖とそこに暮らす人々を護る聖獣として描かれる。荒れ狂う龍は、氾濫を繰り返し、治水を困難としていた当時の河川、もしくは先住の民の抵抗の表象であったのかも知れない。『古事記』の八岐大蛇伝説も、こうしたトーテムに倣うものではないか。
古今東西、治水は社会的なテーマである。『易経』乾卦九五に、「飛龍天に在り(聖人の治世が遍く行き渡り天下泰平)」の爻辞(こうじ)がある。水害が多発するようになった近年、龍神信仰が静かなブームである。今年も洪水害に悩まされたが、来年こそは「飛龍天に在る」良い年となることを願いたい。
(2022年12月10日付 794号)