聖徳太子像富士登山

2022年8月10日付 790号

 今年の聖徳太子像富士登山では、例年の若者が不参加のため、天地子が太子像を担ぎ上げるお役をいただいた。黒駒から取り外した銅製の像は約5キロ。いつもの除草剤散布で背負う噴霧器は15キロなので、それほどの重量感はない。
 日本の宗教史を学ぶにつれ、聖徳太子の偉大さに気づいていたので、像とはいえ太子を背負い、太子ゆかりの信仰の山に登れるのは、生涯最大の幸運であった。仏教受容の時代に、もし宗教的天才で政治家の太子がいなければ、日本仏教は生まれなかったかもしれない。
 さらに太子は皇太子として宮中祭祀を行っていたから、日々の営みの中で神道との習合が穏やかに、太子の人格の中で醸成されていった。これも日本人にとって最大の幸運と言えよう。
 田舎暮らしが20年余に及び、つくづく神仏習合、神仏補完の効用を感じている。自然から生まれたが故のアニミズム的な感性と、普遍宗教としての仏教の教えが、個人の人格において融合しているからだ。そこから生まれたのが、山川草木悉皆成仏であり、即身成仏である。
 自然から生まれたから、自然に帰る。その繰り返しが人生であり歴史であるとの思想は、終末論的思想の弊害があらわになった今、再考されるべきで、終末などないと言ったコへレトの言葉を思い出す。八合目で16℃の風に吹かれながら、人間はいつになったら愚かしい思想から脱出できるのか、考えていた。