貴船神社から鞍馬寺護法魔王堂へ

連載・京都宗教散歩(6)
ジャーナリスト 竹谷文男

貴船神社奥宮(京都市左京区)

 京都市の北、鴨川の水源である貴船川のほとり、深い林の中に貴船神社は鎮座している。全国二千社を数える水神の総本宮であり古来、朝廷の崇敬が篤かった。
 貴船神社の奥宮には、御船形石と呼ぶ船の形をした苔むした石積みが、地上に現れている。その長さ約10メートル、巾3〜4メートル、高さ約2メートル。初代神武天皇の母である玉依姫命(たまよりひめのみこと)が、黄色の船(黄船)に乗って大阪湾から淀川、鴨川をさかのぼり、この地に至って船を下り、船を見られないように石を積んで隠したという。
 「貴船」の由来は元々、玉依姫命の乗っていた「黄船」だったと伝わる。この由来に書かれた黄船は実際に船が埋められたのか、あるいは神事や祭事で使われた船の模型などが埋められたのかは不明である。
 ある古代氏族は船に乗って海から川をさかのぼり、安住の地を求め、ついには終着点に至って船を下り、そこを聖地とした。そして船を埋め、あるいは船形の岩を目印にしたという伝承は、日本各地に残されている。
 この伝承を民俗学者の三浦俊介氏は、「溯源(さくげん)神話」と名付けた(『神話文学の展開 貴船神話研究序説』思文閣)。貴船神社の伝承は典型的な溯源神話である。奥宮に来れば実際、目の前に御船形石が厳然と鎮座していて、「結界」を示す縄が船形の石積みを一周りして張られている。
 類似の伝承として『古事記』、『日本書紀』に登場する神功皇后は、韓半島から帰ってきて神戸に上陸した際、事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀り、その時使っていた船具を小高い丘に埋めたという。現在の長田神社(神戸市長田区)の分地で御船山と呼ばれる地下には、「黄金の船」が埋まっていると伝わる。黄金の船とは黄色の船で、ここでも陸に埋められた「黄船」が伝説となっている。

石積みされた御船形石(貴船神社奥宮)

 古墳から船が出土する例もある。例えば奈良県の巣山古墳では底部にソリの付いた船に亡骸を入れ、木のレール上を滑らせて古墳まで運び、船と一緒に埋めたと考えられている。あるいは、北欧のヴァイキングには、船を棺にした船葬による墓制があった。船を埋める習慣は海洋性民族の特性だろう。
 「黄船」のイメージは何だろうか? 黄色は死者の世界である「黄泉(よみ)の国」に通じ、あるいは天を巡る太陽もイメージさせる。ギザにある古代エジプト・クフ王の大ピラミッド付近からは、壮麗な木造船が出土した。魂を乗せて冥界へと船出し、そして天を巡る太陽神になろうとする思いがあったのだろうか。
 黄船が埋まっているというこの神社に、京の朝廷は御所からかなり離れているにもかかわらず、日照りや長雨が続くと雨乞いや止雨の願いを立てに来た。干ばつ時には雨乞いのために黒馬を、長雨の時には止雨のために白馬または赤馬を奉納した。後に、生きた馬の替わりに馬形の板に色づけした「板立馬」を奉納し、それが絵馬の原形になったといわれている。
 この貴船神社から東に20分ほど山道を登ると、鞍馬寺の敷地の奇岩の上に建つ「護法魔王堂」に至る。ここは「650万年前に金星から降臨した神である護法魔王(サナート・クマラ)」を祀っている。
 鞍馬寺の創建については、『今昔物語集』や『扶桑略記』などによると、延暦15年(796)藤原南家出身で造東寺長官を務めた藤原伊勢人が、霊夢のお告げにより白馬の後を追って鞍馬山に入り、毘沙門天を祀る小堂を見つけた。その晩の夢に一人の童子が現れて「観音も毘沙門天も名前が違うだけで、もともと一つである」と告げたので、伊勢人は千手観音像を作って毘沙門天とともに安置し、鞍馬寺を創建した。
 『日本後紀』によると同じく延暦15年、藤原伊勢人の夢に貴船神社の神が現れ、鞍馬寺を創建するよう託宣したと言う。鞍馬寺と貴船神社とは距離的に近い以上に、霊的・宗教的に近い関係にあったと考えられる。

鞍馬寺の護法魔王堂(京都市左京区)

 現在の鞍馬寺は、昭和期の住職・信楽香雲(しがらきこううん)師が昭和22年(1947)に鞍馬弘教を開宗し、2年後に天台宗から独立して鞍馬弘教の総本山とした。
 鞍馬弘教を立教した後の鞍馬寺の信仰形態は独特で、本堂である本殿金堂には、中央に毘沙門天、右に千手観世音、左に護法魔王尊(サナート・クマラ)が並ぶ。これら三身を一体とする「尊天」が鞍馬弘教の本尊であり、秘仏である。
 毘沙門天は「光」の象徴で「太陽の精霊」、千手観世音は「愛」の象徴で「月輪の精霊」、そして護法魔王尊は「力」の象徴で「大地(地球)の霊王」としている。尊天の一人である「護法魔王尊」の体は通常の人間とは異なる元素から成り、年齢は16歳のまま年をとらず永遠の存在だという。
 この「尊天」を本尊とする教えが創建当初のままかどうかは不明だが、創建時から秘仏として崇拝されてきた経緯から考えれば、大きくは外れていないと思われる。
(2022年4月10日付 784号)