「米国の失墜」は軍事面だけでない

宗教で読み解く世界情勢(68)
宗教問題アナリスト 小笠原員利

 かつてアフガニスタンでイスラム原理主義的な統治を行い、テロ組織として国際的な非難にさらされてきたタリバンの復権は世界中に衝撃を与えた。今回、彼らは早期の国際承認を目指して、女性の権利の尊重や、前体制への協力者に対する恩赦など、より穏健な政策を行うと表明している。西側諸国を中心に懐疑的な声は根強いが、中国、ロシアなどは新政権との交渉に積極的で、タリバンを巡る国際的な評価は二分している。
 いずれにせよ、米軍はじめNATO諸国のあわただしい撤退は、20年に及ぶ民主化に向けた努力の失敗と合わせて、中国による「米国の衰退」プロパガンダの格好の材料となった。国営『新華社』は「米国の国際的な信用とイメージは失墜した」と嘲笑し、『環球時報』は「台湾はアフガニスタンの教訓に学ぶべきだ」と書き、米国との連携を強める台湾をけん制した。
 地政学上の要衝であるアフガニスタンの体制転換は、ユーラシア大陸中央部のパワーバランスを大きく変化させるのみならず、米国に対する信認低下で、西側諸国の結束にも微妙な影を落とすだろう。
 振り返ると、大きなテロや紛争もなく安定していたトランプ政権時代と比較して、前回の民主党政権であるオバマ時代には、「アラブの春」から転じた中東の混乱とISISの台頭、ロシアによるクリミア併合とウクライナ紛争、中国による南シナ海の軍事基地化、北朝鮮の核ミサイル開発の進展など、国際情勢が一気に不安定化した。その悪夢が再現するのではないかとの懸念もくすぶる。
 米国を筆頭とする西側諸国の後退は軍事面だけではない。東西冷戦終結後、G7によって主導されてきた自由・民主主義的な価値そのものへの信認も低下している。西側的な価値の拡大は、人権の尊重や女性の地位向上などの恩恵をもたらしたが、現在では政治的分断や、価値相対主義の蔓延による倫理・道徳の衰退など、負の側面が顕在化している。西側諸国の「堕落」は、全体主義、権威主義的な傾向を持つ中国やロシア、さらにはタリバンが自らの路線を正当化する根拠として用いられている。
 ちなみにロシアは、タリバンの位置づけを「テロ組織」から「伝統的イスラム保守勢力」へと実質的に転換し、モスクワに代表を招くなど関係を深めてきた。プーチン大統領は同性愛に対する厳しい姿勢でも知られるように、自らをロシア正教など伝統的・保守的価値観の守護者として位置付け、西側諸国への対抗軸としている。
 中国も同様だ。ウイグル、香港などの人権問題を抱える一方で、規律や秩序、公益を重んじる立場から、欧米の行き過ぎた個人主義、享楽主義を批判し、道徳的な優位性を主張している。最近ではアイドル育成番組を禁止するなど、当局が厳しい芸能規制に乗り出した。こうした政策の背景には、日本のAKB現象のように、投票権付き商品を大量廃棄したり、アイドルの自宅に押し掛けるなど、ファンの過激な行動があり、社会秩序の乱れを懸念する人々から一定の支持を受けている。
 かつてISISに西欧、北欧諸国から多くの若者たちが押し寄せた背景にも、宗教が抑圧され、享楽主義が蔓延する社会への失望があった。西側諸国が過度の個人主義に陥り、伝統的価値が軽んじられているとの認識は、アジア・アフリカ諸国に根強い。2015年7月には国連人権理事会が「家族の役割と保護」を謳った決議を賛成多数で採択したが、ここには同性婚運動など、伝統的家族の価値が脅かされていることへの危機意識があった。賛成票を投じたのは、中ロの他、インド、インドネシア、ナイジェリアなど29カ国、反対票は日米などG7構成国を中心に14カ国にとどまった。
 仮にタリバンが公約どおり、女性の大学進学や社会進出を認めるとすれば、ヒジャブの義務付けや男女別の教育だけで「非人道的」と決めつけることは難しい。逆にフランスなどでは公的場でのブルカ、ヒジャブ禁止を強制しており、イスラム団体から「信教の自由の侵害」との声が上がっているからだ。さらにフィンランドでは、聖句を引用してLGBT運動を批判した国会議員が収監の危機にさらされるなど、保守的な人々の思想信条、言論の自由が脅かされている。
 こうした西側諸国の反宗教的な動きは、中ロの主張に根拠を与え、伝統的価値を重視するアジア・アフリカ、さらには東欧諸国の全体主義への傾斜を後押しするかもしれない。国内外において宗教的な価値を軽視した結果、西側諸国の人道的、道徳的優位性はもはや自明のものではなくなっている。
(2021年9月10日付 779号)