時代を動かす宗教的情熱

2021年7月10日付 777号

 大河ドラマ「青天を衝け」では、渋沢栄一がパリ万博視察を中心に派遣された訪欧使節団に会計係として参加し、近代化を進めるフランスはじめヨーロッパ各国を訪れる場面が展開されている。
 ヨーロッパ資本主義の精神となったのが、カルヴァンの二重予定説に基づくプロテスタンティズムの倫理だとするマックス・ウェーバーの説はよく知られるが、フランスでその精神となったのは、道徳的な産業化を目指した一種の宗教運動「サン=シモン主義」であった。

サン=シモン主義
 サン=シモンはマルクスより少し前の社会主義思想家で、日本では空想的社会主義者とされることが多いが、それはマルクスがそう批判したからで、労働者の解放はブルジョアジーの協力によって実現できると考えた現実的な思想家であった。
 彼はアメリカ独立戦争に参加して共和主義の影響を受け、フランス革命を支持したが、一党独裁の弊害を見て失望し、反対に回る。革命政府が没収した貴族の財産を担保に発行した国債が暴落すると、彼はそれを全部入手して国を乗っ取ろうと、秘かにベルギーの銀行家と買い集めるが、政府にばれて失敗した。
 次にサン=シモンは、理工科大学校ポリテクニークの前に自宅を構え、教授を招いて経済を学び、今でいう金融工学的な知識を得る。そして、「フランス社会は王侯貴族と農民の二つしかないが、実際には真ん中の層の実業家がこれからの社会を担っていく。生産に携わらない貴族や軍人を取り除き、産業人の社会をつくろう」と構想するようになる。王政や共和制など政体は関係なく、ヒト、モノ、カネのすべてを循環させることにより社会は豊かになると考えたのである。
 銀行と株式会社が金を回すシステムだと知ったサン=シモンは、民間の眠っている金を吸い上げ、将来性のある企業に投資するベンチャーキャピタルの創設や、株式会社を活発にするため証券取引所を組織し、不正のない株式投資の振興を図ろうと考えた。次に物流のための鉄道が重要だとし、1820年代にヨーロッパ中を鉄道で、さらに地中海を介して中東、アジアまで結ぶ計画を立て、さらに大型汽船を造り、アメリカと結ぶ大構想を立てている。
 やがて、サン=シモンのもとに理工科学校の生徒やユダヤ人金融家の子弟が集まるようになり、彼らはサン=シモンの宗教的な面を受け継いだ人たちと、実業的な面を受け継いだ人とに分裂し、弾圧されたため、1830年代に離散し、運動は一旦終わる。
 ところが、反乱を起こしたため牢獄に収監されていたナポレオン1世の甥のルイ・ナポレオンが獄中でサン=シモンの著作を猛勉強し、その実現を目指すようになったのである。1848年に二月革命が起こり、臨時政府が普通選挙で大統領を選ぶ制度を作ったところ、大統領選挙でロンドンにいたルイ・ナポレオンが75%の得票率で大統領に選ばれた。
 ルイ・ナポレオンはサン=シモン主義者をブレーンに集め、銀行を作り、鉄道網を10年でフランス中に広げ、郵便網も整備する。労使協調で労働者の賃金を上げて会社経営を成功させ、銀行はトルコやロシアにも投資するようになる。国民議会に対するクーデターを起こして独裁権力を掌握したルイ・ナポレオンは、1852年に皇帝に即位してナポレオン3世となり、イギリスから20年後れていたフランスを、それからの15年間で、GDPで追い越すまでに発展させた。その成果を世界に宣伝するのがパリ万博だったのである。
 フランスへの途上、工事中のスエズ運河を見て驚いた渋沢は、巨大工事をしたのが国ではなくレセップス会社という私企業だと知り、株式会社の仕組みを学ぼうと決めている。フランスで渋沢の世話役になったのが銀行家のフロリヘラルトだったのも幸運で、渋沢は彼からフランスの資本主義を学び、旅費のメキシコ銀で鉄道債を買い、運用益を得ることで金融の仕組みも学んだ。民間人のフロリヘラルトが軍人と対等に話している姿に感動した渋沢には、次第に日本が目指すべき社会が見えてきたのである。

目指すべき社会は
 持続可能な発展が国際的なコンセンサスを得つつある今、それを支える宗教的情熱はどこに求めることができようか。日本には、その発信源となる環境と歴史があるように思える。