曲がり角を迎えたLGBT運動

連載・宗教で読み解く世界情勢(65)
宗教問題アナリスト 小笠原員利

 米国のバイデン新政権は外交アジェンダの上位にLGBTの人権擁護を掲げるなど性的少数者の問題に積極的だ。就任初日には、トランスジェンダーの子供たちが自認する性別のトイレや更衣室を使用し、スポーツにも参加できるようにする大統領令に署名した。
 しかし、極端な政策には揺り戻しがある。バイデン政権の支持率は一定の高さで推移しているが、上記政策については、民主党支持者を含めて必ずしも無条件の賛同は得られていない。
 ギャラップ調査によると、性自認に基づく性別でスポーツに参加する(例えば出生時男性で性自認が女性のトランスジェンダーが女子スポーツに参加する)ことを「許容できない」と答える人が62%に上った。注目すべきは、通常これらの問題で進歩的な態度を取る若者層でも、やはり6割前後がスポーツ参加は生物学的な性別に従うべきだと答えたことである。
 英国にも似た状況がある。トランスジェンダーについて「性別は変えられない。男性が女性になることはできない」とSNSで保守的意見を述べた女性が雇用契約を打ち切られた訴訟で、裁判所は彼女の言動が差別的であり「保護に値しない」と判断したが、国家機関である平等人権委員会が逆の立場から控訴審に介入。彼女の「思想・信条の自由」を擁護した。
 くしくも同時期に、日本でも経済産業省のトイレ使用をめぐる訴訟の第二審で、トランスジェンダーの原告が逆転敗訴した。この裁判では、性別適合手術を受けておらず、身体的には男性のトランスジェンダー職員(50代)が、勤務する階から二階以上離れた女子トイレを使うよう指示されたことを不当な差別として訴えていた。一審の地裁判決では原告の訴えを認め、経産省にトイレ使用制限の取り消しと賠償金の支払いを命じた。
 しかし、二審では他の女性職員の利益に配慮した経産省の措置に合理性を認めた。ちなみに同省は性同一性障害との診断を受けた原告を女性として勤務させ、女子更衣室などの利用も認めていた。また、女子トイレ使用も全面的に禁じたわけではない。上司は原告と面談を重ね、周辺とも協議しながら最善の方法を探そうと尽力していた。もしも、これが不合理な差別であるなら、民間企業や個人事業主でも訴えられるケースが相次ぐだろう。
 同時期に国会では、「LGBT理解増進法案」提出をめぐり自民党内が紛糾していた。問題とされたのは、野党との折衝の過程で「差別は許されない」との文言が挿入されたことだ。もちろん一般的に「差別」を許容する人はいない。しかし、「合理的な区別」と「不当な差別」の線引きについては意見が分かれている。そこで一律に「差別禁止」となれば、訴訟の乱発など混乱を招くと懸念されたのだ。経産省裁判はまさにその一例である。
 これまで同性婚合法化などLGBTの権利運動は、主要メディアの後押しもあり、絶対善のように受け入れられてきた。しかし「当事者が不快に感ずるものはすべて差別」「当事者が望むものはすべて受け入れられるべき」という状況は、決して公正とは言えない。一般的にも無制限の自由や権利などはあり得ず、必ず公共の利益や他者の権利との調整で一定の線が引かれる。米英の状況を見ると「LGBTの人権」も、既存の社会制度との間で着地点を模索する段階に入ったのかもしれない。
 ちなみにLGBT運動に異を唱える「保守」の人々は、しばしば変化を受け入れない頑固な差別主義者と見なされる。しかし、真の保守とは単なる「守旧派」ではない。米共和党系の新興シンクタンク「アメリカン・コンパス」の創設者オレン・キャスは、保守の典型的な姿として、「保守主義の父」エドマンド・バークを挙げる。英国の思想家バークは、既存制度を暴力的に破壊したフランス革命を批判する一方、自国に戦いを挑んだ米国の独立は支持した。真の保守とは、伝統的な制度、規範の意義を正しく認めつつ、現実の課題に合わせて必要な変革を行う人々のことだ。その意味において、変化や改革を至上の価値として、既存制度や規範を軽視する進歩派とは一線を画す。バークは政治家としての自らの基準を「維持する気質と改善する能力」だと述べた。
 まさに男女の区別や異性愛規範にもとづく一夫一婦の婚姻も、公益に直結する重要な制度である。しかし、LGBT運動を担う一部の人々は男女の区別を「差別」と決めつけ、子どもを産み育てる制度としての婚姻をも、性愛に基づく個人間の契約に矮小化しようとしてきた。こうした過激な動きに一定の歯止めがかかるのは、ごく自然な成り行きだ。
(2021年6月10日付 776号)