米国で賛否分かれる「平等法」のリスク

連載・宗教で読み解く世界情勢(65)
宗教問題アナリスト 小笠原員利

 今年3月、人権団体などが「LGBT平等法」制定を求める署名を立憲民主党などに提出した。インターネットなどを通じて集めた署名数は10万余りとされるが、国内は4万筆ほど。「平等」には誰も反対しないが、米国では同様の法案が深刻な分断を生み出し、福音派などの保守派が強く反対の声を上げている。
 米国の「平等法」は、人種、肌の色、性別、出身国による差別を禁じた公民権法(1964年)の対象に「性的指向、性自認に基づく差別」を加えようとするものだ。すでに民主党支配の下院を賛成多数で通過しており、民主・共和が拮抗する上院では僅差の戦いになると予想されている。
 反対の声が根強いのは、普遍的な差別反対には同意しても、個別の事案になると多くの疑問や懸念がぬぐえないからだ。
 まずは性的指向について。一般的にキリスト教では同性愛を罪だと教えている。例えば、キリスト教系の学校で、同性愛を公言し、実行する教師を処分することは差別になるか? 新たな「平等法」のもとでは、その学校に対して損害賠償が要求されたり、政府の助成が打ち切られたりする可能性がある。それどころか教壇や説教台から「同性愛が罪だ」と教えることすら同性愛者の生徒が傷つくとの理由で禁止されるかもしれない。
 もちろん、これは杞憂ではない。既に、同性婚にサービスを提供しなかったキリスト教徒が罰金刑を科されている。書籍販売サイトでは「LGBT」運動に疑問を呈する本が「差別的」として取り扱い停止となり、募金サイトでは、宗教の自由のために裁判を戦うキリスト教徒への募金が「差別的」として排除された。
 「平等法」の制定はこうした動きを加速する。これまでキリスト教徒は宗教の自由を盾に抵抗してきたが、現在の法案は、一切の宗教的な例外を認めないからだ。「LGBT」の人権が神聖不可侵のものとなり、あらゆる宗教的信条は、その前にひれ伏すしかなくなるだろう。
 多くの企業やハリウッドなどを味方につけた「LGBT」運動は、もはや弱者とは言えない、との皮肉も聞かれる。確かに、現在では宗教的に敬虔な人ほど肩身の狭い思いをし、自由な発言も封じられている。宗教の自由を求めて建国されたはずの米国の、ここ数年の変質は驚くほどだ。
 性自認については、さらに難しい問題があり、保守派の宗教団体だけでなく、リベラルなフェミニストからも懸念の声が上がっている。この法律のもとでは、自らを女性と主張する生物学的な男性を、他の女性と全く同じように扱わなければならない。
 特に懸念されるのは、女子スポーツへの参加や、トイレ、更衣室など女性だけに限定されるスペースへの出入りの問題だ。性転換手術を行った人であればいざ知らず、身体的には男性である人が、こうしたスポーツに参加したり、プライベート空間に出入りしたりすることに抵抗を覚える女性は少なくない。それは白人が黒人を排除するような不合理な差別とは全く異なり、合理的な根拠のある抵抗感である。
 さらに、性自認が流動的な側面を持ち、客観的な判断基準がないことにも注意が必要だ。日本でも身体的な性別に違和感を覚えて性別変更をした後に、後悔して元の性に戻す人が現れている。あるケースでは出廷した医師が誤診を認め、本人の主張以外に客観的診断の基準がないと弁明した。つまり、悪意をもって異なる性別を主張する人間がいても、それを偽りだと証明する方法がない。トランスジェンダーについては、包括的な差別禁止よりも個別の事例ごとに丁寧に対処すべきだろう。
 日本でも既に同様の法案が2016、18年の二度、野党から衆議院に提出されている。そこには「LGBT」が抵抗を感じる「事物、制度、慣行、観念その他一切のもの」を取り除くべきとの条文が含まれていた。「観念」という心の中にまで踏み込んでペナルティを科すことには、ゲイを公表した松浦大吾・前衆議院議員など当事者からも批判の声が上がった。「差別をなくす」との名目で一切の異論を封殺する言論弾圧につながりかねない。
 すでに一部自治体や教育現場では「男らしさ、女らしさ」という表現にすら自主規制が始まり、厚労省が示した履歴書の見本からは性別欄の「男・女」が消えた。平等法制定への署名を受け取った立民の枝野幸男代表は札幌地裁の同性婚判決にも触れ、「今の流れをうまく生かして一気に進んでいきたい」と述べた。しかし、ことは宗教、女性など、全国民の人権にもかかわる問題だ。米国での懸念も踏まえて、慎重に対応すべきである。
(2021年5月10日付 775号)