バチカンによる同性婚否定の波紋

連載・宗教で読み解く世界情勢(64)
宗教問題アナリスト 小笠原員利

 3月17日、札幌地裁が「同性婚を認めないことは憲法(14条)違反」との判決を下し、大きな注目を集めた。一方でその前日の15日には、全く逆の判決が地球の裏側で下された。バチカン教理省が「司祭は同性間の結合を(結婚として)祝福できない」と、カトリックの公式見解を示したのである。この文書にはフランシスコ教皇自身が署名している。
 現在の教皇は「弱者に寄り添う教会」を前面に打ち出し、歴代教皇と比較して、同性愛者に対しても寛容な姿勢を示してきた。最近では、同性カップルに対する法的保護を支持する発言もあり、一部の同性婚支持派の信徒たちの間では、フランシスコ教皇の下で同性婚が祝福される道が開かれるのではないか、との期待も高まっていた。
 しかし、そうした「誤解」は今回の公式見解で、一旦、覆された形だ。「誤解」と表現したのは、教皇はこれまで一度も同性愛を禁ずる教義を変更すると述べたことはないからだ。彼はあくまでも、「同性に引き付けられる性質をもった人」も教会に受け入れると述べたのであり、「同性愛行為は罪」と明確にしていた。また、一般社会で「同性カップルに一定の法的保護を与える」ことには理解を示す一方、結婚の秘跡を男女に限る「教理を変更するつもりはない」と一貫して強調していた。
 今回の公式見解は、そうした教皇の真意を確認したものと言える。そもそも2000年にわたるカトリック教会で「結婚」は七つの秘跡の一つであり、教義の中核を占めるものだ。今回の文書でも、「生命の伝達(生殖)に向かって開かれた、分かつことのできない男女の結合」を「神の計画」として明確に位置付けた。同性間の結合を結婚として祝福することは、その結婚観、さらには秘跡の根拠とされる聖書冒頭の記述すら変更することになってしまう。
 今回、あえてこうした見解が発表されたのは、司祭たちから出された質問に答えるためであり、その背景には、同性婚をめぐるカトリック教会内の深い亀裂がある。たとえば現在、ドイツやオーストリアでは同性カップルに対する祝福の是非についての議論が活発に行われており、ある種の儀式的承認を行うことを支持する司教も少なくない。ドイツ司教協議会を率いるゲオルグ・ベッツィング司教は、今回の公式見解がドイツでの議論に水を差すものだと不快感を表明した。
 米国ではフランシスコ教皇最側近の一人であるショーン・オマリー枢機卿が、教会には「宣言されるべき非常に明確な結婚についての教えがある」とバチカンを擁護するコメントを発表する一方、ニューヨークタイムズは、「(神が)罪を祝福しないし、できない」との表現が「途方もない痛みと怒りを引き起こすだろう」と非難するLGBT権利擁護派の聖職者や信者の声を取り上げた。
 教皇の承認を得た文書をあからさまに非難することは聖職者にとって大きなリスクだが、彼らの強気の背景には、自国の信者たちの動向がある。ドイツではカトリック信者の70%、米国では61%が同性婚を支持しており、反対はわずか3割(ドイツ29%、米国31%)に過ぎない。社会的にもLGBTに否定的な発言自体が許されない空気がある。もしも、カトリックが西欧と米国だけの宗教であれば、おそらく教理省も公式見解の発表をためらったはずだ。
 ただし、世界に目を広げると、異なった状況が見えてくる。同じヨーロッパでも西欧のカトリック信者が同性婚を支持する一方で、東欧では反対派が軒並み半数を超えている。ウクライナ、ベラルーシ、リトアニアなどでは8割以上が、ポーランド、ハンガリーなどでも6割以上が同性婚に反対だ。またアフリカ諸国に至っては、ケニア、ナイジェリアなどでカトリック信者の8割以上が、同性婚はおろか「同性愛」自体、社会的に受け入れられるべきではないと答えている。世界で10億を超えるカトリック・コミュニティーにおいて、アフリカの信者数は2億人に迫り、その存在感は無視できない。
 同性婚をめぐる社会的な議論も同様で、欧米先進諸国では既に決着がついたように見えるが、世界的に見ると同性婚を合法化した国はわずか2割にとどまる。今回、バチカンは同性愛者を人として尊重する姿勢を示す一方で、結婚本来の意義を明確にして同性間の結合を区別した。台湾でも同性婚は民法上の男女の婚姻とは区別され、養子縁組などは認められていない。日本でも、欧米の趨勢や世論の動向だけでなく、婚姻制度本来の意義を確かめるところから、冷静に議論を進めるべきだろう。
(2021年4月10日付 774号)