自由民主主義の命運握る「宗教」

宗教で読み解く世界情勢(53)
平和政策研究所研究コーディネーター 小笠原員利

 NHKの対談番組で、米国の論客イアン・ブレマーは指導力なき世界におけるコロナ危機の特異性を指摘した。「9・11」の直後はブッシュ政権の支持率が9割以上に達し、中国、ロシアを含む世界の主要国も「反テロ」で結束した。リーマン危機の際にもブッシュ・オバマ両政権を中心にG20が招集され、積極的な国際協調の動きが早期の景気回復をもたらした。しかし、今回の危機に際して米国の指導力は見られない。
 大統領選挙を控えた米国が国内問題に集中する一方、国際社会では中国の積極的な姿勢が目立つ。感染拡大を招いた隠蔽体質と初動の誤りに対する批判を回避する意味でも、中国は欧州などへの支援に積極的に取り組んでいるのだ。ブレマー氏はコロナ後の世界で中国の存在感が確実に高まるだろうと予想した。
 こうした中国の動きに対して、トランプ政権は損害賠償の要求までちらつかせながら、中国批判を強めている。しかし、一国主義にとどまり、国際協調から後退する米国の姿勢は、却って中国の存在感を高める結果をもたらすだろう。
 西側諸国の自由民主主義は、まさに文明史的な危機に直面しているのだ。現在までのところ、西側の自由主義は、感染拡大の阻止に優位性を示すことができていない。逆に中国は、危機回避に失敗した欧米諸国を嘲笑し、自国の優位性を高らかに主張している。このうえ、国際協調においてもリーダーシップを失うとすれば、西側諸国への信頼は地に墜ち、中国への覇権の移動は避けられないものとなる。
 共産党一党独裁を維持し、宗教を弾圧する中国が主導権を握ることは世界にとって、また世界の宗教人にとっても好ましいことではない。人権監視団体の報告によれば、コロナ禍のさなかにあっても中国当局はキリスト教徒への締め付けを緩めず、十字架撤去などの迫害を続けている。新型コロナの押さえ込みで自信を深めた中国政府はウイグル、香港問題についても強硬姿勢を堅持するだろう。欧米への信頼を失った新興国でも「中国モデル」に乗り換える動きが広がりかねない。上記番組でジャック・アタリが指摘したように「人々は、自由と安全を比べたとき、安全を取る」傾向があるからだ。
 果たして西側諸国は、現在のコロナ禍を乗り越え、自由民主主義の価値を守り抜くことができるだろうか? 欧州福音同盟のブリュッセル代表アリー・ペーターは、欧州がコロナ危機を乗り越え、連帯を回復するためには、キリスト教価値への回帰が必須だと語っている。
 そもそも自由社会が成り立つためには、構成員一人ひとりに高い道徳性が備わっていなければならない。最も成功した民主主義国家である米国は、最も敬虔なキリスト教国家でもあった。自由のために世界大戦や東西冷戦を戦い抜き、敗戦国を含む世界の復興に指導力を発揮した背景にも、キリスト教的な伝道精神が影響していた。また、ペーターが指摘するように、EU創設を主導したのもキリスト教民主主義勢力に属する政治家だった。
 現在の西側諸国の衰退と分裂は、宗教の退潮と無縁ではない。人々が道徳性を取り戻し、国際社会に対する義務と使命感を回復するためにもキリスト教精神の復興は欠かせない。そして、それは現実化する兆しがある。世俗化が進んだ欧州で宗教回帰の傾向が現れてきたからだ。
 コペンハーゲン大学のジャネット・S・ベンツェン准教授によると、新型コロナの世界的拡大が深刻化した3月に、75か国で「祈り」に関するグーグル検索が急増した。その範囲は全大陸に及び、世界で最も宗教性が薄いデンマークですら例外ではなかった。
 同様の傾向は英国でも見られた。キリスト教系慈善団体「ティアーファンド」の委託調査では、コロナ危機以降、英国の若者の3人に1人がオンラインなどの礼拝を視聴していた。しかも、そのうち2割は、一度も教会に足を運んだことのない人々である。
 やはり、死の運命に直面する困難な時代において、人々の宗教に対する渇望は強まるようだ。欧米の宗教指導者に、期待に応える用意があるかどうかは疑問が残るが、不安を希望に変え、利己的な人間を、利他的で連帯を重視する生き方へと転換してくれるものが宗教だ。個人次元だけでなく、西側諸国が一国主義を脱し、国際協調における指導力を回復するうえでも、宗教の復興は欠かせないだろう。アジア、アフリカの新興国でも宗教は大きな影響力を維持している。無神論の独裁国家、中国に対抗し得る強力な対抗軸は、やはり宗教なのである。
(2020年5月10日付763号)