福音派が勢いを増すブラジル

連載・宗教で読み解く世界情勢(51)
平和政策研究所研究コーディネーター 小笠原員利

 BRICsの一角を占める南米の大国ブラジルでは、着実に保守化が進んでいる。1964〜85年まで続いたブランコ将軍に始まる右翼軍事独裁政権への嫌悪感から、同国では長らく「保守」は禁句とされ、33ある政党の名称にも、その言葉は見当たらない。しかし、2018年10月に大統領に就任したジャイール・メシアス・ボルソナロはブランコ政権支持を公言し、LGBTの権利運動に反対するなど超保守ともいえるスタンスを取っている。
 歯に衣着せぬ言動や、環境問題よりもアマゾン開発を優先する姿勢など、ドナルド・トランプ米大統領との類似性が指摘されることも多いボルソナロ大統領は「トロピカル・トランプ(熱帯のトランプ)」の異名を持つ。経済面では左翼政権のバラマキ政策を改め、経済自由主義を掲げて「小さな政府」を追求。就任1年目の2019年は小幅ながらもプラス成長を確保し、一定の評価を受けている。また、彼の当選には、同国で成長著しいキリスト教福音派が大きな役割を演じており、その点でも、福音派を岩盤支持層に持つトランプ大統領と共通している。外交政策においても米国との関係を重視し、親イスラエルの立場をとる。
 ボルソナロ政権における福音派重視の姿勢は、女性家族人権大臣へのダマレス・アウベス女史の起用にも現れている。彼女は牧師であり、敬虔なキリスト教信仰の持ち主だ。幼少期にレイプ被害にあった経験を持つ彼女は、家庭内暴力から小児性愛に至る犯罪の撲滅を目指し、ブラジル社会に道徳性を取り戻すことに取り組んでいる。彼女は文化戦争の闘士として、特に女性と子供たちを守ることに焦点を当てる。いうまでもなく彼女の道徳的・倫理的基準を形作るのはキリスト教であり、「性の多様性」教育を実施した学校を、子供たちに同性愛を促したとして告発し、キリスト教のシンボルが冒涜されているとして享楽的なリオのカーニバルを批判した。
 彼女はまた、十代妊娠の問題にも積極的に取り組んでいる。近年、低下傾向にあるとはいえ、ブラジルの十代妊娠率は依然として高い水準にある。同国の15〜19歳の妊娠率は、千人当たり68人で、世界平均46人の約1・5倍だ。14歳以下の少女の状況も深刻で、毎年、16万4000人が妊娠している。
 この問題に対して、ブラジル当局はコンドーム配布など、避妊に焦点を当てた対策をとってきた。今年も実に5億7000万個ものコンドームを若者に配布する予定である。保健省を中心としたこれらの取り組みに理解を示しつつも、アウベス女史は、より本質的な取り組みの必要性を訴えている。それが早期の性行為を控える「自己抑制」教育の推進だ。
 当然のことながら、アウベス女史の伝統的道徳重視の姿勢は激しい議論を巻き起こしている。
 いうまでもなくリベラルな左翼勢力は厳しい視線を送っており、なかでも同性愛者は、2013年の同性婚法で得た権利を押し戻されるのではないかと警戒している。一方で、彼女の支持層の中核は福音派だが、それ以外の一般のブラジル人の中にも、彼女の問題意識を共有する人は少なくない。
 ブラジルの調査会社によると、保守的な意見に賛同するブラジル人の割合は、2010年の49%から16年には54%に上昇しており、ボルソナロ政権発足前から、同国の保守化は始まっていた。ブラジルで福音派と称されるプロテスタントの成長はさらに目覚ましく、人口比で見ると、1991年の9%から2016年には29%に急増した。一方で、かつては人口の9割以上を占めたカトリックは衰退が止まらず、14年には60%、16年には50%に減少している。
 このままの傾向が続けば、30年代初頭には、世界最大のカトリック人口を誇ったブラジルがプロテスタント国家に変わることになるだろう。
 政治への関与が抑制気味だったカトリックに比べ、福音派は社会問題に対して積極的に発言する傾向がある。信仰面においても、新興プロテスタント教会は習慣的信仰に堕したカトリックをはるかに凌駕しており、ブラジル社会全体の宗教化、保守化に拍車をかけている。
 従来の欧米を中心とした歴史観においては、近代化とは、すなわち脱宗教化だとみられていた。しかし、ブラジルの状況はその「常識」を裏切るものだ。近年、着実に存在感を高めるアフリカにおいてもキリスト教、イスラムの勢いは衰えていない。
 世俗化が進む欧米偏重の日本メディアでは、そうした世界の状況はほとんど報道されない。経済、技術面での「ガラパゴス化」が問題視されるわが国だが、今もなお世界各地で重要な役割を演ずる宗教に対する無知・無関心も深刻だ。
(2020年3月10日付761号)