ローマ教皇フランシスコの来日

上野景文 元バチカン大使、文明論考家、元杏林大学客員教授

「平和の宣教師」が目指すもの

講演する上野景文氏

 フランシスコ・ザビエルによるキリスト教伝来から470年目の今年、法王(教皇)ヨハネ・パウロ2世以来38年ぶりに、第266代ローマ法王フランシスコが11月23日から26日まで訪日する。期間中、被爆地の長崎、広島を訪問し、東京では天皇陛下、安倍晋三首相と会見、東日本大震災の被災者との会合も行い、25日には東京ドームで法王主宰ミサが予定されている。ローマ法王とは何か、バチカンとは何か、法王訪日の意義は何かにつき、元駐バチカン大使の上野景文氏が講演した。(9月27日、東京・新宿区の会場で行われたNPO法人にっぽん文明研究所後援による宗教新聞講演会より)
 
日本文明とアニミズム
 私は元外交官、元大学教授、文明論考家の三つの「顔」を持つ。大学では、「バチカンを通して見た西欧」などにつき、文明論の観点から講義した。外交官としては、キリスト教国中心に赴任したが、文明を講じる上からは、イスラム国にも行くべきであったと悔やんでいる。文明論考家としては、日本文明の基層にあるアニミズム的心性に触れないと、日本をきちっと説明することはできないという立場から、この25年、発言・発信してきている。
 この日本文明の基層にアニミズム的なものがあるという点は、日本人でも軽視している人が少なくないが、早い話、外来の仏教、儒教、キリスト教、更には、資本主義、民主主義でさえ、アニミズムという「篩(濾過器)」によってこぞって「日本化」されている。このアニミズムは、多神教の中でも多神教性が強い。その対極には一神教がある。私は、外交官としての最後のポストとして、一神教の総本山であるバチカンに乗り込んで「文明対話」をしたいと望み、大使として派遣して貰った。かれらとの「対話」を活性化させる意味もあり、現地では、 “Buddhistic-Shintoist”と自称した。かくして、「アニミズム大使」としての日々が始まった訳だ。
 アニミズムとの関連で補足すれば、20年前に大使を務めたグアテマラのマヤ文明は、アニミズムの宝庫であった。が、マヤ古来の宗教は400年にわたり当局に弾圧され続けてきた。ケルトのドルイド教が、キリスト教化した西欧で「邪教」とされ、弾圧されたのと同様に。ただし、マヤの宗教は、この30~40年復活しつつある。関心ある方は、拙著『現代日本文明論』(第三企画)を参照願いたい。

バチカンに大使として赴任
 2006年10月にバチカンに赴任して、バチカンは文明論的に刺激に富んだ処であることに気づいた。
 それもそのはず、バチカンは、アジア、アフリカを含め、世界中から優秀な人材を引き抜いている。三つの裁判所を含め、30ほど役所があるが、幹部クラスは全員聖職者で、二、三の博士号をもち、三、四か国語を話す。知的レベルが高い彼らが発する見解は、知的刺激に富んだものが多かった。特に、彼らが描く西欧、米国、プロテスタンティズム、東方正教などの構図は、日本からは見えない新たな景色を示すものであった。
 ある役所の長官は、着任挨拶に出向いた私に、こう言い放った。「上野さん、あなたは文明対話をしたいということで、当地に来られたということだが、当地に来るというあなたの選択は正しい。なぜなら『文明』は我々が創って来たから」と。それまで38年外交官をしてきたが、こう豪語した人は初めてだ。凄い処だと感じた瞬間であった。
 その長官はそれ以上発言しなかったが、含蓄に富んだ発言だったと思う。平易な言い方をすれば、こういうことではないか。
 ①カトリックは、個別の文化や民族を超越して世界中に理念を浸透させておりその意味で、普遍性を有することから、「一つの文明」をなす(との位置付けが可能)。
 ②キリスト教は、西洋文明の根っこを構成。
 ③カトリックは、世界で最古のグローバリズム。
 ④今日世界標準をなすリベラルデモクラシーは、啓蒙思想の延長と言えるが、啓蒙思想はキリスト教の申し子。よって、リベラルデモクラシーはキリスト教の孫にあたる。
 ⑤西欧には、ノーベル賞やユネスコ世界文化遺産、EUなどバチカン的機構・装置が多数ある(「ミニバチカン」)。

Ⅰ.基本事項のおさらい(入門編)
 では、入門編に移る。まず、法王、バチカン、カトリック教会などの基本事項につき、簡単におさらいをしたい。
 
カトリックの「特異性」
 何よりもまず触れたいことは、カトリック教会の「異常性」だ。宗教なるものは、通常、イデオロギー論争や後継問題で分裂する。だから、日本には宗教法人が18万余もあり、プロテスタントは誰でも創れるので、無数ある。ところが、カトリックは、2000年に亘り、世界全体がまとまっている。これは「異常」、「特異」なことだ。
 この「特異性」は何処から来るのか? 一言で言えば、ローマ法王(「装置」としての法王)が、絶対的・圧倒的な「権威と権力」を持つことで、反対意見を封じ込め、重石となって、分裂を防いできたということだ。では、法王の権威は何処から来るのか?  それは、キリストが使徒ペテロに、「自分亡きあと、羊(=信徒)の世話はお前がやれ」と命じたことに由来する。歴代ローマ法王は、聖ペテロ(初代法王)からその役割を順次引き継ぎ、今日に至っている。それが、法王の正統性の源だ(「正統性の連鎖」)。更に、法王は世界中の司教を任命することで、「正統性」を分与する。かくして、世界中の司教は、法王を通じ、聖ペテロに繋がることで、正統性を与えられている(「正統性の拡散」)。
 このように、教会の中核は法王(の権威)であり、法王という「装置」が無かったら、他の宗教と同様、分裂を繰り返し、カトリック教会の歴史性、世界性はなかった筈だ。
 因みに、このローマ法王の権威を根底から否定したのが、プロテスタントだ。聖書以外は認めないかれら(聖書原理主義)に対し、カトリック教会の中軸は「法王本位」制にある。
法王聖座(HS)とバチカン市国(VCS)
 次いで、法王、法王聖座(HS)、バチカン市国(VCS)について説明する。「3階建てのビル」をイメージして頂きたい。3階(最上階)に当たるのがローマ法王。組織の頂点だ。2階に当たるのが、「法王聖座(the Holy See、以下HS)」だ。法王と一体となって、2000年にわたり、世界のカトリック教会(ビルの1階部分をなす)を「統治」してきた。HSは言うまでもなく宗教機関であるが、後述するように、国としての顔も有する。
 次に、バチカン市国(the Vatican City State、以下VCS)とは何か? 90年前、イタリアとの条約で突如出現した国で、近代国際社会の基準に合わないHSに国家としての体裁を与えるべく、HSを置いておくためのいわば「容器」として創られたのが、このVCSである。あるのは、宮殿、博物館、庭園に限られ、HSのような世界との繋がりはない。
 以上、整理すると、こうなる。法王の傘下には、HS、VCSという二つの国が、国際法に則って、存在する。HSは、世界全体と繋がる宗教機関で、カトリック共同体全体を「統治」するが、併せて、法王外交を手掛ける。よって、国連、UNESCOなどの国際機関には、HSとして参加している。VCSとしてではない。私は、日本ではバチカン大使ということになっているが、国際社会はHSに派遣された大使と見ている。つまり、HSは、国際社会から国家として見做され、遇されている。その意味で、HSは「国家としての顔」を持つ。
 他方、VCSの役割は、容器(宮殿、庭園など)の「管理」が中心だ。郵便・通信やコインの発行など技術的事項も手掛けるので、万国郵便連合のような技術的事項を扱う国際機関には、バチカンはVCSとして参加している。
 なお、世間での会話や新聞報道では、HSを指す場合であれ、VCSを指す場合であれ、これを区別せず、俗称として「バチカン」とする場合が多い。本日の私の話でも、以下、この俗称で行くこととする。
バチカンは「プレモダン」な国
 さて、このバチカンであるが、凡そ「近代国家」とは言い難い。国家ではないと極論する人もいる。どういうことか。「近代国家」は通常、「国民国家」(国土と国民が前提)であり、民主主義、政教分離を旨とする。ところが、バチカンは、どれにも当てはまらない。HSであれ、VCSであれ、国民はいない。国民がいないから、国民主権(民主主義)もなく、法王が全権を掌握した専制体制であり、政教分離も該当しない。
 振り返れば、中世の西欧には、宗教と国家が一体となったミニ国家(ドイツ騎士団など)があった。それらは、近代の到来と共に消失した。その中で、バチカンだけはしぶとく生き残った。という意味で、バチカンは中世的(プレモダン)国家の「生き残り」なのだ。それにもかかわらず、世界各地から超VIPが法王に会いたいと絶えずやって来る。そういう意味では、時代の先端をゆくようでもある。中世的でありながら、時代の先端をゆく、というこのギャップに、バチカンの本質が潜む。
ローマ法王の「磁力」
 では、超VIPを惹きつけるローマ法王の磁力の源は何か? 三つあると見る。第一は数の力(信徒13億人に由来)。
 第二は法王の「権威」。宗教的な面と世俗的な面との二つの意味で。特に西欧では、法王は国王と比べても「格上」で、欧州の「奥の院」的存在だ。
 第三は、法王の「メッセージ力」。法王は、国際紛争や核、環境など世俗的問題につき、絶えず発言を繰り返す。法王のメッセージは、カトリック系メディアや、BBC、CNNなどの国際メディアが取り上げる。だから、その言動は、国際社会全体に広く伝えられ、中長期的には国際世論醸成に見えざる影響力を有する場合が少なくない。
 以上の諸点について関心ある方は、拙著『バチカンの聖と俗』(かまくら春秋社)を参照願いたい。

Ⅱ.法王の来日について考える(解説編)
38年ぶりの来日

 解説編に移る。まず、ローマ法王の来日が38年ぶりなのは何故か? それは、日本はカトリック国でなく、カトリック人口がとても少ない(人口の0・45%)からだ。つまり、宗教的に見る限り、彼らにとっての日本のプライオリティーが低いからに他ならない。バチカン官僚が法王に訪問先として進言するのは、カトリック教徒が多い国、或いは、カトリックと他の宗教がせめぎあっている国だろう。官僚が創った訪問先候補リストでは、日本は下位にある筈で、法王自身がその気にならない限り、訪日実現は難しい。なお、法王は宗教者と外交官の二つの顔を持っていて、今回の来日は、一般の日本人から見ると、外交官としての訪問の意味が強いということだ。
法王フランシスコの登場――「異例」ずくめ
 2013年3月、鳴り物入りで登場した法王フランシスコは、三つの意味で「異例」な法王だ。
 まず出身地。ヨーロッパ以外の出身者が法王になるのは、1300年ぶりのことであり、新大陸、南米出身者の就任は初めてのことであった。バチカンを「中心」とするカトリック世界で、「周辺」から法王が出たということだ。
 第二に、法王はイエズス会出身であり、「フロンティア」文化を体現している点。同会出身者の法王就任は、フランシスコが初めてだが、イエズス会の中でも、「周辺」というか、「フロンティア」に当たるブエノスアイレスで頭角を現した人だ。修道士と言えば、自己を犠牲にしてでも貧困、困窮に悩む人たちに寄り添う人達であり、清貧、献身の文化が強い。王朝風、奢侈に走るバチカン文化と好対照をなす。余談ながら、カトリック教会が今まで続いているのは、修道士、修道女が「体を張って」尽くしているからだと解説する人がいるが、当たっている面がある。
 第三は、フランシスコという名前。歴代法王はこの名前を避けて来た。キリストの再来と言われた13世紀の聖人、アッシジの聖フランチェスコ(フランシスコ)が偉すぎるからだ。敢えてフランシスコという名を選んだ法王は、この聖人を格別敬い、慕っている。貧困な人に寄り添い、自らを犠牲にする法王の精神は、聖フランチェスコから学んだものだ。
 以上の次第もあり、フランシスコ法王は、歴代法王の中でも「最も非バチカン的」な人物である。それ故か、法王の発する言葉や行動は、非官僚的で、分かりやすく、親しみを感じさせるものが多い。いずれにせよ、多くの困難を抱えるカトリック世界は、バチカンという中枢と縁のなかった人物に舵取りを任せるという選択を、6年前、敢えて行ったということだ。
「平和の宣教師」として
 既に触れたが、法王は、平和、貧困などの世俗的問題につき、絶えず苦言を呈し、「平和の宣教師」の役割を果たしている。「国際社会の良心」と言っても良かろう。法王が発出するメッセージを整理すれば、五つぐらいの「束」に分けられる。
 第一は貧困問題。南半球出身の法王は、「北」(ヨーロッパ)から「南」(貧困国)に重心をシフトせよと説くと共に、市場中心主義が格差を生む元凶だ、格差是正のために政府の役割は重要だ、市場の運営にはモラリズムが必要だ、と迫る。
 第二に、環境問題も重視。特に先進国は、過剰消費を改め、シンプルな生活に戻れ、文明的な転換が必要だと説く。2015年には「ラウダート・シ(神の讃歌)」と題する回勅を発表し、自然との調和を取り戻せ、と聖フランチェスコ流の理念を示した。
 第三は、非核化・軍縮の問題。核保有国が責任を果たしていないと厳しく批判。因みに、バチカンは、かねてより、無差別大量殺戮兵器の使用は、「人道に対する罪」であると断言している。
 第四は、移民問題。法王は一貫して、先進国は移民・難民を受け入れよと主張。家族融和を重視し、家族を離散させるような移民政策には批判的であり、米国の「壁」建設を酷評。
 第五は、国際機関重視。バチカンは、腕力の強い特定国が国際社会を牛耳ることには批判的であり、小国を含め、「万機公論に決すべし」の精神が重要とする。今年1月には、駐バチカン大使を招集して披露した恒例の外交演説で、国際機関軽視の風潮に懸念を示した。
 以上を通じて言えることは、法王のメッセージは、耳の痛いものを含むものの、日本や西欧の立場に近いものが多い反面、トランプ政権の立場とは明確に一線を画するものが大半を占める。
 法王来日の際は、これらのメッセージを日本から国際社会に発することになる訳であるが、此処に法王来日の意義が凝縮されると見て良かろう。国際協調主義に逆行する考えを誇示するリーダーが増えている今日の国際社会にあって、法王は「国際協調主義のシンボル的な存在(守護人)」となっており、ローマ法王の存在意義はいや増している。
 なお、オバマ大統領やメルケル首相を含め、ローマ法王のメッセージに注意を払っているリーダーは少なくない(日本は兎も角)。特に英国は、15年前、法王に環境問題などで英国の立場に近い発言を促すことを対バチカン外交の主眼とすることを決め、機構改革まで行った。米国で有権者の22%を占めるカトリック教徒に法王の考えが浸透すれば、やがて、ワシントンのスタンスをも動かすことになろうとの着想に基づく(=「将を射んとすれば馬を射よ」)。
ヨーロッパ中心主義
 従来、バチカンは「ヨーロッパ中心主義」が強かった。私の在任当時、法王を選ぶコンクラーベで投票権のある枢機卿120名を見ると、その52~55%がヨーロッパ人だった。つまり、代々ヨーロッパ人が選ばれる構造がある訳だ。ただ、「南」重視のフランシスコ法王になって、この割合は順次低下し、現在は42~43%にまで下がっている。ただ、これまで優遇されて来た西欧(特にイタリア)出身の高僧の中には、既得権が奪われた不満から、法王への批判を強めている人が出ている。
 なお、ローマで聞いた話であるが、「世界的なネットワークを持ちながら、英語が重視されていない」機構が三つあると言う。それは、バチカン、IOC(国際オリンピック委員会)、FIFA(国際サッカー連盟)であり、何れもヨーロッパ中心主義が依然根強い。このうち、バチカンについては、フランシスコになってヨーロッパ中心主義が揺らぎ出した、ということだ。
アジアへの(バチカンの)無関心
 以上のような体質を持つバチカンは、従来、アジアへの関心が低かった。フランシスコ法王の前任者たるベネディクト16世は、保守的体質、ヨーロッパ中心主義の強い人であったが、8年の在位中、アジアの地についぞ足を踏み入れなかった。これに対し、フランシスコ法王は、外遊面でも、人事面(特に枢機卿昇格)でも、アジアに関心を向け、新しい流れを創り出している。
中国との合意――背景
 アジアに関心を向けたフランシスコ法王が決断した最も重い決定は、中国政府との間で結んだいわゆる「暫定合意」(昨年9月)だろう。
 司教任命を巡り、従来、バチカンと北京の立場は真っ向から対立していた。カトリック世界では、法王が任命(叙階)した司教でないと、真正の司教(神学的意味で)にはなれない。他方、北京は、国内の司教を外国機関が任ずることを、原理的に認めない。両者は、この司教の任命権を巡り、何十年も論争してきたが、昨年9月、(大雑把に言えば)「一緒に任命する」ことで合意した。
 カトリックの保守派は、北京にしてやられた、地下教会を見棄てるのかと、合意を強く批判。国際メディアも、似たトーンで報道した。が、私はそう単純な話ではないと思っている。
 どういうことか。若いころから宗教に関心を持っていた習近平総書記は、2012年の就任以来、「中国の宗教は中国化しなければいけない」と、折々強調してきた。かつてインドから入ってきた仏教が中国化したように、イスラム教やキリスト教も「中国化」させるべきだとの考えだ。英国のヘンリー8世がカトリック教会を英国聖公会に変えた(=英国化した)ように、中国カトリック教会をローマから完全に切り離すことだって、その気になればできる筈だが、習近平は、荒療治は何故か控えている。
 それどころか、今回の合意で、習近平は、ローマ法王の中国カトリック教会に対する権威を認めてしまった(合意の詳細は発表されていないが。もし発表されたら、習近平は、「中国化」に逆行することをしたと猛烈に批判されるだろう)。「宗教の中国化」を唱えていた習が、大胆な妥協をしたのは、米国から攻勢を受ける中、ローマ法王の「権威」を外交的に利用することを目したからであろう。すぐれて政治的決断であった訳だ。つまり、「西側」のシンボルと言える法王に北京に来て貰い、習近平と抱きあう映像を世界中にばらまくことで、北京のイメージアップを図ろうとの目論みがあったと見る。
 なお、ウイグル等で宗教弾圧を繰り返す中国への保守派の警戒心には、肯ける面がある。今後、北京がローマとの合意を骨抜きにしないか、慎重に見守る必要がある。
イエズス会士としての法王の初心
 法王フランシスコは、若い時分(ベルゴリオ司祭の時代)から、イエズス会の大先輩であるザビエルやマテオリッチ同様、自分も宣教師としてアジアに行って活躍したいとの抱負を持っていた。
 ただ、当時(1950年代)の日本は公害がひどく、スモッグで汚染されていたので、片肺が機能していないベルゴリオは、日本に行くことを諦め、ブエノスアイレスで神学校の校長になった。
 そこで育てた5人を日本に送り込んだところ、その1人は現在イエズス会の管区長として活躍、数人は上智大学で教えている。そのような若い時の魂が、今回の訪日や対中合意をプッシュしたのかもしれない。
潜伏キリシタンへの関心
 法王フランシスコは、日本の潜伏キリシタンにも関心を寄せている。法王就任以来、数次にわたり、「かれらの体験は、現在宗教的な迫害を受けている世界の人達に、教訓と励ましを与えてくれる」旨の発言を繰り返してきている。
 なお、潜伏キリシタンが使用した「仏具」(実は、礼拝用品)などが、長崎だけではなく、東北から九州までかなり残っているが、それらが散逸しつつある現状を憂い、今のうちに「図録」として残しておこうということで、上智学院の高祖前理事長を中心に、伊藤星槎大学教授や私もお手伝いすることで、現在、『潜伏キリシタン図譜』刊行準備が進められている。ローマ法王のメッセージも頂いており、明年はじめには出版される。

Ⅲ.結び
 以上、法王、バチカンにまつわる基本事項をおさらいの上、11月下旬の法王来日の意味につき、考えてみた。皆さまの参考になれば有難い。
(2019年10月10日付 756号掲載)

 うえの・かげふみ 1948年東京生まれ。70年東京大学教養学科卒業後、外務省入省。73年英ケンブリッジ大学経済学部卒業(のち修士)。OECD代表部公使、国際交流基金総務部長、スペイン公使、メルボルン総領事、駐グアテマラ大使などを経て、2006-10年駐バチカン大使。その後、杏林大学客員教授、立教大学兼任講師、国際日本研究センター共同研究員など務めた。著書は『バチカンの聖と俗―日本大使の一四〇〇日』(かまくら春秋社、2011年)、『現代日本文明論―神を呑み込んだカミガミの物語』(第三企画、2006年)、『ケルトと日本』(共著、角川選書、2000年)など。