皇室が守り伝える日本文化

2019年3月10日付

 東京国立博物館で3月5日から4月29日まで開かれている、御即位30年記念特別展「両陛下と文化交流」を見た。皇室の御物が一般に公開されるのは、今上陛下と香淳皇后がその一部を国に寄贈され、国民への公開を願われてからという。これも、国民の象徴としての天皇の在り方を求めてこられた、今上陛下のご意思の表れであろう。
 それぞれの品には日本の文化・芸術の粋が見られ、四季折々に美しい日本の風土が描かれていた。改めて、この恵まれた国に生まれたことに感謝し、歴史を経て先人たちが紡いできた文化を守ってこられた皇室に、尊崇の念を強くした次第であった。

日本そのものの作品
 本紙7面にも紹介した高村光雲作「養蚕天女」は大正13年、皇太子(昭和天皇)のご結婚に際し、貴族院より皇太子妃(香淳皇后)に献上された作品。天女が手にする繭は中央がくびれた俵形で、当時、日本経済を支えていた高品質の絹糸を生んだ純国産の小石丸種のもの。
 明治の近代化を支えた日本の輸出品の柱は、茶と生糸だった。とりわけ日本の生糸は中国産などに比べて品質が高く、欧米で珍重された。ヨーロッパのシルク大国だったフランスは、ナポレオン3世(1808─73)の時代にヨーロッパの蚕が病気でほぼ全滅したため幕府に接近し、近代的技術の導入と軍事改革の指導を条件に、蚕と生糸を独占的に輸入することを約した。この極秘外交は1900年代まで継続され、造船や製鉄の機能を有する横須賀港が建造され、パリ万博に日本が参加し、富岡製糸場が開かれた。フランスが親日的なのには、こうした歴史がある。
 昭憲皇太后が宮中でご養蚕を始められたのは、絹の生産を奨励、振興するためで、以後、経済変動により昭和後半から養蚕業が急速に衰退する中でも継続され、平成2年に皇后陛下に引き継がれたのである。皇后陛下は、糸が細く、くびれた繭からの糸取りの難しさから廃棄処分が検討されていた小石丸の存続を決められた。
 その後、小石丸が産する絹糸は正倉院宝物の古代裂(こだいぎれ)の復元や傷んだ御物の修理保存にも役立つことが分かり、民間でも生産が再開されている。
 展覧会場の最初にあるのは、平成の大嘗会に際して描かれた、東山魁夷の「悠紀(ゆき)地方風俗歌屏風」と高山辰雄の「主基(すき)地方風俗歌屏風」。前者は秋田県、後者は大分県で、大嘗祭に用いる新穀や酒の献上地として、亀甲の卜定(ぼくじょう)で選ばれた。両画伯は現地を取材し、日本を代表する風景として両県を描いている。
 皇室が日本文化を守り、継承するようになったのは、何より日本人がそれを願ったからだろう。例えば、インドで2500年前に始まった仏教の集大成ともいえる密教は、中国、朝鮮を経て日本に伝わり、皇室によって保護された。その結果、中国、朝鮮では廃仏のためほとんど失われた経典や反故、仏像、寺院などが日本では残されている。それには日本列島の地政学的、風土的要因が大きいのだが、比較的戦争が少なく、民が穏やかだったからともいえる。
 昨秋、奈良国立博物館の正倉院展では、目玉作品の1つが新羅琴だった。奈良時代に華厳経と共に日本に伝わり、東大寺の法要などで用いられたという。古代朝鮮の文化を物語る貴重な品だが、韓国では失われている。

を守るソフトパワー
 天皇皇后両陛下は諸外国を訪問される折、皇室ゆかりの美術品をご持参され、日本文化の紹介にも努められている。平成26年にはパリで「蚕─皇室のご養蚕と古代裂、日仏絹の交流」展を開かれ、天皇陛下がご幼少のときにお召しになった振袖などを紹介された。日本文化への理解の深まりが、日本を大切な国と思うことにつながる。それは国と国との関係から個人と個人との関係まで同じであろう。国を守るソフトパワーである。
 新しい天皇はさらに古くて新しい日本の文化を体現され、世界と交流されていかれる。それは国民を代表されてのことであり、私たち国民一人ひとりもそうありたいと願う。難しい時代だからこそ、世界の人々の心を喜ばせる価値を大切にして。