イスラム神学のあらまし

カイロで考えたイスラム(10)
在カイロ・ジャーナリスト 鈴木真吉

 今回からイスラム神学のあらましを見ていきたい。イスラム思想史を執筆した井筒俊彦氏によると、イスラム神学が芽生え、進展した要因は、①預言者ムハンマドの死後、各種疑問に対する解答が不可避になり、②断片的で不統一な聖典コーラン自体が持つ矛盾性をどう説明するかとの課題に突き当たり、③イスラム教の地域的な拡大に伴い、ペルシャやインド、特に論理的、思索的なギリシャ思想などを知るに及び、それぞれへの対応を迫られるようになったことなどだという。時期的にはイスラム史上最初の世襲イスラム王朝であるウマイヤ朝(六六一─七五〇年)末期に始まり、アッバース朝(七五〇─一五一七年)に至って無数の学派と学者が生まれた。
 井筒氏は、コーラン自体に矛盾した記述があり、信徒のつまずきの元となるおそれがあることは、ムハンマド自身も自覚し、その解決を迫られていたと指摘している。(井筒俊彦著『イスラム思想史』34ページ)
 コーラン第3章第7節で、「彼こそは、この啓典をあなたに下される方で、その中のある節は明快で、それらは啓典の根幹であり、他の節は曖昧である。そこで邪まな者は、あいまいな部分に捉われ、その隠された意味の欠陥を求めて、それに勝手な解釈を加えようとする。だが、アッラーの外には、その真の意味を知る者はない。それで知識の基礎が堅固な者は言う。『私たちはこれ(コーラン)を信じる。これは凡て主から賜ったものである』。『だが思慮のある者の外は、反省しない』」と記してあリ、ムハンマドの生存中に、早くもコーランの矛盾について疑問が生じていたことがわかる。ムハンマドは結論として、「アッラーの外には、その真の意味を知る者はない」と断じ、人間の能力の限界を指摘していたのである。
 コーランの矛盾は多々あるが、神学上の大問題として後々まで論争の源となったものの一つは予定論、つまり宿命論である。
 アッラーは唯一の神であり、アッラーをおいて他に神はないので、アッラー以外の創造者はないというイスラム的信仰に立つ限り、人間の善行、悪行は勿論、この世に起こる出来事は全て神の創造より出たものであり、人間の自由意思は否定され、神の予定の絶対性が認められるのは当然である。
 イスラム神学上、最高峰とされるガザーリ(一〇五八─一一一一年)は、その大書『宗教諸学の蘇生』の第一巻の中で、「いかなる人のいかなる所業といえども、それが全く彼自身の個人的利害のためになされたにしても、それは神の意志から独立してあり得るものはない。ただ一度のまばたきも、ふと心をかすめ去る幻影のごとき思想も、悉く、神の叡慮と力と希望と意志とによらざるはない」と言っている。(前掲書36ページ)
 即ち、善悪、利害、知識、無知をはじめ、人が正しいイスラム信仰に入るのも、また異端の教えに迷って身を滅ぼすのも、皆、神の意志によるのである。悲しみも喜びも、楽しみも苦しみも、神がそれを欲し、それを意思するが故にあり得るのであって、人間は何一つ、自分の意志で自由に出来るものをもたない。人間は完全に自由意思を否定されている、という考えだ。
 このような思想は、コーランの至る所に見出されるもので、例えば、第33章36節の中に、信仰に関して「欲する者は神の途を選ぶ。しかし神が欲さぬ限り、何人も欲することはできない」と言われ、「イスラムの信仰に入る者を見ては、あたかもその人自身が進んで神の途を選んだようにも見えるが、実は、神の途を選ぼうという気持ちが起こることが既に神によって定められているのだというのである」とある。
 コーランの中にこの種の章句は枚挙にいとまがないが、これらと正反対な記述もたくさんある。例えば、第18章28節に「真理は主の下し給うところ、しかし、信じたいものは信じ、背きたいものは背くがよい」、第4章81節に「汝にふりかかる幸運は、全てアッラーの授け給うたもの、汝にふりかかる災難は全て汝自身から来る」とある。更に有名な章句である第7章7節に「アッラーがどうして悪を命じたりなさろうか」とある。
 これらの章句を考え合わせれば、神の途に進むも進まぬも、ただ人間の意志に委ねられていると考えられていることがわかる。人間の為すことはいかなることでも、自分の意志で選ぶのであって、善行、悪行いずれにせよ人間はそれを実行するその瞬間まで、為すか、為さぬかの選択権を持っているという思想である。
 実は、人間が実行の選択権を持ち、人間の責任において善悪が決定するとの思想こそ、アッバース朝の前期においてイスラム世界を席巻したムアタズィラの前身であるカダル派の中心的思想なのだが、その後、それは否定されたり肯定されたりした。予定論はキリスト教神学上でも大きな問題であるが、イスラム神学上でも同様の大論争を巻き起こしてきたのだ。
 次回からは、それらの主要な流れを紹介しながら、イスラム神学のあらましを俯瞰してみる。
(2018年11月10日付745号)

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