原城跡

2018年10月10日付 744号

 取材で熊本に行った折、元島原新聞記者の知人の案内で南島原市の原城跡を訪ねた。世界遺産に登録された効果で観光客が増え、休日には百人を超えるという。テント張りの土産物屋の女性の話。台風24号の接近で風が強く、難儀していた。そのうちしっかりした土産物屋が建つだろう。
 思いがけない出会いは北村西望の天草四郎の像。「長崎平和祈念像」で知られる西望は、各所に彫刻を残しており、毎年春と秋に訪問する京都・山科の一燈園にある西田天香夫妻の路頭に立つ像もそう。最初に西望の作品を見たのは、京都・嵯峨のあだしの念仏寺で、観音像も多くまさに祈りの彫刻家である。
 知人は郷土史として島原のキリシタン史を研究しており、島原・天草の乱は農民一揆ではなく、まさしく信仰を守る戦いの果ての殉教だったと熱心に語り続けた。各地に熱のある郷土史家のいる日本は素晴らしい。
 天地子の郷土の近くにある小豆島は、小西行長の領土だった時代に四千人もが洗礼を受けている。島原の乱の後、荒廃した当地に幕命で入植した人もいて、親戚付き合いが今も続いていると話すと、さすが知人は既に知っていた。
 一人になって島原城に行くと、天守の横に西望記念館があったので、そちらに先に入った。すると、長崎平和祈念像の原型があり、「(制作依頼を受けて)観音像や女神像も考えたが、やはり一番得意な男性の裸体にした」という西望の言葉が記されていた。旅は余禄が楽しい。