カトリック教会の危機を救う鍵は何?

宗教で読み解く世界情勢(35)
平和政策研究所研究コーディネーター 小笠原員利

 八月下旬、アイルランドの首都ダブリンで、カトリック教会が主催する「第九回世界家庭大会(World Meeting of Families 2018)」が開催された。一九九四年から三年ごとに開催されるこの催しの主役は、その名の通り「家族」である。しかし、その裏側では家族と切り離せない関係を持つ「性」の問題をめぐって、カトリック教会を根底から揺るがす事態が進行していた。
 言うまでもなく、聖職者による性的虐待の問題だ。近年、明るみに出るようになった同問題の告発がやむことはなく、八月十四日にも米国ペンシルベニア州最高裁の大陪審から衝撃的なレポートが公表された。七十年間にわたり三百人以上の聖職者が性的虐待に関与し、その被害者が千人以上に上るというのだ。その被害の大きさもさることながら、虐待に関与した聖職者たちの多くが、その後も担当地域を替えながら教会内のヒエラルキーにとどまり続け、組織的な隠蔽も行われていたことが世界中に大きな衝撃を与えた。
 更にはローマ教皇庁の駐米大使を務めたカルロ・マリア・ビガノ大司教がフランシスコ教皇を名指しで非難する声明を出したことも大きな話題となった。七月に辞任に追い込まれたセオドア・マカリック前枢機卿による性的虐待疑惑について、既に二〇一三年にはビガノ氏が報告していたにもかかわらず、教皇が適切な処置をとらず、マカリック氏を最後までかばい続けていたと糾弾したのである。
 もちろん、こうした教皇の責任を問う動きの背景に、教会内の政治的対立があると指摘する声もある。同性愛者や離婚・再婚者に対して曖昧な言動を繰り返す現教皇に対し、保守的な聖職者たちの不満が高まっていたからだ。実際に、保守派のチャールズ・シャピュウ大司教など一部聖職者たちから緊急の司教会議の開催を求める声も上がるなど、教会内の混乱が収まる気配はない。
 ただし、こうした混乱状況が長引くことは、世界にとっても好ましいことではない。一連の聖職者によるスキャンダルは、世界中でカトリック教会への信認を低下させただけでなく、宗教の役割そのものへの疑念を生じさせている。また、世俗化、個人主義化が進む現代社会において、カトリック教会は伝統的な性道徳、家庭倫理の擁護者であり続けたがゆえに、その権威の失墜は、結婚・家庭の価値を守ろうとする保守勢力にとって大きな痛手となるだろう。カトリック教会が、この試練を克服できるかどうかによって、宗教と家族の運命も大きく左右されるのだ。
 いずれにせよ、カトリック教会には根本的な変革が不可避である。特に、聖職者のスキャンダルによって失われた信頼を回復するためには、信頼されるに足る聖職者の育成が欠かせない。
 この問題について保守の側からは、ゲイの聖職者を追放すべきだとの声が上がっている。例えばペンシルベニアの被害者の内訳をみても大半が未成年の「男子」であり、マカリック前枢機卿も成人の神学生と不適切な性関係を持っていた。つまり、小児性愛にくわえて同性愛の問題も、一連のスキャンダルの背景になっているのである。
 一方、リベラルの側からは、ゲイの聖職者を追放すれば、聖職者不足がより深刻化するだろうとの懸念が示されている。実際に、カトリック教会では聖職者を志す青年が減少傾向にあり、欠員補充すら困難な状況が生じている。
 しかし、人員がどんなに不足していると言っても、教義に一致できない聖職者を立てることは自殺行為にも等しいだろう。むしろ、在家の既婚者を教会指導者として登用することが真剣に検討されるべきかもしれない。そもそも初代教会においては、司祭の多くが妻帯しており、ほかならぬ「初代ローマ教皇」ペテロ自身も既婚者であった。特に性道徳が乱れ、家庭崩壊が進む現代にあっては、貞節を守る誠実な既婚信者夫婦こそが、信仰と家庭の価値を証しするうえで、性的虐待を起こす独身聖職者よりもはるかに大きな貢献をなし得るはずだ。
 実際に、カトリック教会では近年、敬虔な信者夫婦の存在感が増している。結婚がテーマとなった先回のシノド(世界司教会議)でも、在家の既婚信者が招かれて、独身聖職者では体験しえない結婚と家庭生活における貴重な証しを提供した。今回のアイルランドの大会でも、多くの在家信者が示した夫婦・家族愛に、教皇自身が大きな感動を受けたという。性的スキャンダルに揺れる教会を救う鍵は、こうした在家信者が示す誠実な夫婦愛にこそあるかもしれない。
(2018年9月10日付743号)