「Me Too」時代と宗教の役割

宗教で読み解く世界情勢(30)
平和政策研究所研究コーディネーター 小笠原員利

 米国に端を発した「Me Too」運動が世界的な広がりを見せている。昨年十月、ハリウッドの大物プロデューサーのセクハラ疑惑が告発されたことをきっかけに、「Me Too(わたしも)」と多くの女性たちが自らの受けた性的被害を公にした。欧米から始まった巨大なうねりはアジアにも到達し、韓国では次期大統領候補(安煕正忠清南道知事)までが、性的暴行の告発を受けて辞任に追い込まれた。人知れず苦しんできた女性たちが声を挙げ、卑劣な男性たちが社会的制裁を受けることには間違いなく大きな意義がある。
 しかし、その一方でMe Too運動に警戒心を抱く人々も存在する。米国の保守系ジャーナリスト、キルシー・ハークネスによると、保守派の女性たちの一部がMe Tooに懐疑的である理由は、その運動に潜む、攻撃的で「反男性」的な色彩だ。彼女たちは、過激なフェミニストたちがこの運動を利用するのではないかと恐れている。
 実際に、運動が広がりを見せる中で、過激な政治的主張を掲げる女性活動家たちの姿も目立ってきた。仮に、リベラルな左翼フェミニストが主導権を握る事態になれば、Me Tooは単に男性を告発、糾弾するだけの運動に堕してしまうだろう。
 参政権の獲得など、純粋に女性の地位向上を求めた第一波フェミニズム運動とは異なり、一九六〇年代以降の第二波フェミニズムは、資本家を「労働者の敵」として糾弾するマルクス主義の影響を受け、男性を敵視する戦闘的な運動へと生まれ変わった。現在、Me Tooの波に乗じて男女の敵対的な構図を煽っている過激なフェミニストたちは、その思想的遺伝子を受け継いでいる。
 第二派以降のフェミニストは、伝統的な性道徳や家族制度を、男性による女性支配の牙城とみなして徹底的に攻撃し、解体した。しかし、その結果生み出されたものは、男女間の最低限の礼節すらわきまえず、女性を単なる性的欲望の対象とみなす男たちが、よりカジュアルに、悪気もなく、日常的にハラスメントを­繰り返す無秩序な世界だった。今や米国人女性の51%が自らの意思に反して体をさわられ、30%が男性の生殖器を無理やり見せられた経験があると答えている。
 そもそも、第二波フェミニズムの活動家たちが敵視したキリスト教的な性道徳は、女性に貞節を要求する一方で、男性に対しても「紳士(ジェントルマン)たれ」と教えていた。同時に、一夫一婦の伝統的な家庭も、異性との接し方を子供たちに伝える教育の場となっていた。そうした社会の安全装置を破壊することで、かえって女性たちの性被害リスクを高めてしまったのは皮肉なことだ。離婚やDVが蔓延する社会で、子供たちは健全な男女関係のモデルを見いだせなくなっている。性道徳の伝達が忌避される一方で、扇情的なポルノやゲームが歪んだ性情報を提供し、女性を即物的な性的対象と見る風潮を強めている。Me Tooが戦うべき真の敵は、こうした文化的現実だ。
 結婚と宗教の専門家であるパトリック・フェイガン博士は、Me Too時代の父親たちへのアドバイスとして「紳士教育」の重要性を説いた。結局、子供たちは親をはじめとする大人の姿を模倣する。だからこそ、まず家庭内において、父親が妻や娘に敬意をもって対する姿を、モデルとして息子たちに示すべきだというのである。息子が思春期になれば、寝室や浴室での姉妹や母親たちの不可侵なプライバシーを守るよう教えなければならない。そして、男性ならば必ず直面する性欲の問題について、自己抑制の重要性を断固として伝えるべきだ。性道徳を順守する男性の育成こそが、女性の性被害をなくす最善の方法だと博士は考えている。
 その意味で、Me Too時代、宗教に求められる役割は大きいと言えるだろう。紳士教育が、主にキリスト教学校で推進されたことでもわかるように、性的な欲望を戒め、自己を律する責任ある男性を育てることは、宗教が果たしてきた重要な貢献の一つだった。一方で、イエス・キリストが石打ちの刑に直面した遊女の悲しみに寄り添いつつ、新たな人生に踏み出す勇気を与えたように、傷ついた女性の救済が宗教の最重要テーマであったことも見逃すべきではない。
 Me Tooを叫ぶ女性たちの真の救済は、マルクス主義的な糾弾と闘争によってはもたらされない。理想的な経済社会が、資本家と労働者の互恵的な関係によって築かれるのと同様に、男女が相互に理解し合い、尊重し合う社会を築くことこそが重要だ。Me Too運動の真の着地点は、性道徳の確立と家庭の再建以外にない。
(2018年3月20日付733号)