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[連載・カイロで考えたイスラム No.16]

愛による神と人との結合

  スーフィーの語源は、スンニー派による律法主義・形式主義的なイスラム法(シャリア)を批判した初期のイスラム神秘主義者が、虚飾を廃し、粗末な羊毛(スーフ)の衣を纏ったのをスーフィーと呼んだこととされる。
 青柳かおる氏によると、スーフィズムの起源は禁欲主義で、大征服時代に富裕化して来世を忘れ、現世の幸福だけを求める傾向を批判して現れ、8世紀末から9世紀にかけて、最後の審判を恐れ苦行に励んだことで発展したという。
 9世紀には、アッバース朝でイスラム法の体系化が進み、イスラム法の外面的な履行を重視する傾向が強まったことに反発が起き、内面性が強調されたことで神秘主義思想が成長した。
 井筒俊彦氏によると、イスラム神秘主義は、神を恍惚と眺め入る忘我静寂の美的体験を無上の境地とするシリア神秘主義を受け継ぎ、さらに一歩進めて、神との恋を完成させ、恍惚境の神人合一、神と人との愛の結合、神と霊魂との結婚を最終目的とするようになった。こうした展開の先鞭を付けたのは、イスラム思想史最初期のバスラのハサン直系の門下にあたる「バスラ派」のスーフィーたちとされる。イラク南東のバスラはスーフィズムの一大中心地になり、最初期バスラ派で特に有名なのが「聖女ラービア」(没年801年)である。
 彼女は、イスラム神秘主義に「愛」の語彙を与えた最初の人で、昼夜を分かたず熱烈に祈り、神について「我が歓喜」「我が希望」「我がいのち」「恋しい人」という表現を使っている。神に恋焦がれて夜もほとんど眠らず、夜明け前の1~2時間だけ、正座したまま休息していたという。
 ガザーリーによると、彼女は夜毎に部屋を出て独り屋上に座し、天空を拝して声を上げ「我が主よ、星は大空にきらめき、人々の眼は深い睡に閉ざされ、地上の王者等もその邸宅の門を閉じ、全ての恋する若者は己が愛する乙女とただ二人でおります。私もここにこうしてあなたと二人だけでいます」と祈っていたという。
 青柳氏は「ラービアが神への愛を強調したことにより、禁欲主義から神秘主義への転換が起き、スーフィズムが誕生した。つまり、神や最後の審判を恐れてひたすら禁欲するのではなく、神を愛し、神と人間霊魂が合一することがスーフィーの目的となったのである。」(『面白いほどよくわかるイスラーム』)と指摘した。
 スーフィーの修行は神との合一を目指して行い、修行によって自意識が消え、神に包摂された合一状態の中で、神に意識が支配され、没我状態になる。この状態がファナー(消滅)で、修行の到達点とされる。
 その後、ファナーに至る修行論(マカーマート:神秘階梯)が整備され理論化される。組織・教団により内容は異なるが、修行により一段一段昇ることで完全へと近付いていくことがスーフィーの目指すべき道とされる。
 ラービアとほぼ同時代に、エジプトに現れた傑出したスーフィーがズン・ヌーン(没年859年)である。彼は神秘道の全道程を三段階に分け、第一段階を「浄化・淨清」、第二段階を「照明ないし脱自」、第三段階を「安定」とした。最終の目的地「安定」では、人間の私的活動がやみ、霊魂は突如として光り輝く「神の顔」に出会い、無上の歓喜を味わうという。
 青柳氏は著書中で、10世紀のスーフィーで、名著『スーフィズム諸家諸説集成』を著したサッラージ(没年988年)の定義を紹介している。それによると、修行者はまず悔い改め、スーフィーとして生きる決意をし、その後はなるべく世間から離れて隠遁し、禁欲生活を送り、心身を清めてからズィクルと呼ばれる修行を行う。ズィクルとは、一切の雑念を振り払ってひたすらに「アッラー、アッラー」と唱え、集中して神を賛美し信仰告白をし、一定の聖句を唱える。
 最終的には神との合一により意識を支配され、ファナー(消滅)と呼ばれる没我状態で完結する。そこにまで到達する神秘階梯(マカーマート)を、①悔悟、②信頼、③忍耐、④清貧、⑤禁欲、⑥節制、⑦満足の7段階とした。
 井筒氏は、初期スーフィズム思想の黄金時代を築いた人々として、バグダード派に属した人々とホラーサン派の人々を挙げ、「バグダードはイスラム神秘主義思想の本拠地」と述べている。
 アッバース朝は750年から1258年まで続いたが、あらゆる思想活動の自由が奪われ、未曾有の迫害により教徒の文化的創造力が減殺されたカリフ・ムタワッキル(治世847─861)までの最初の100年間が、「スーフィズムにとってもこの上なく恵まれた時代だった」という。

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