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[2018年12月10日付 天地]

 先日亡くなった本紙記者・池田年男さんのことで思い出すのは二〇一三年、京都・東山の同志社墓地での遭遇。新島襄と八重の墓参りをし、山を下りかけて振り返ると、坊主頭の年配の男性が襄の墓に手を合わせていた。これはいい絵になると撮影し、振り返った顔を見ると池田さんだった▼同志社の卒業生なので、毎年、墓参しているという。後に、他紙の日曜版に、遺作となる高山右近の評伝小説を連載したことからも、キリスト教への深い思い入れがあったのだろう▼その挿絵を担当した画家で出版社社長の越智俊一さんが寄せた追悼の言葉に、「右近の生涯を余すことなく表現したその文章はすばらしく、何度も胸を打たれたものです。…マニラでその生涯を閉じた右近の最期の言葉は、『我が魂は主を仰ぎ見にゆく』でした。池田さんは、右近の後を追ったように思えてなりません」とあった▼池田さんは天地子が京都の大学で二年の時、同志社に入っているので、同じ学園紛争を共有し、影響を受けた。池田さんが昭和四十八年に参加し、共感したという政治講演会に、天地子がスタッフとして携わっていたのも不思議な縁▼本紙も少しかかわったお東さん騒動で分裂し、その後、嵯峨本願寺を開いた大谷光道住職に取材し、記事を書いてくれたのにも因縁を感じる▼毎号、良質な記事を当たり前のように送ってくれた池田さんのような人が、この国と社会を支えているのだ。さわやかな印象を残して逝った同志を、今は懐かしく思い出している。

[2018年11月10日付 天地]

 奈良で泊まった宿で、元東京都消防庁の消防士で奈良出身の男性と知り合った。そこで、本紙の松下正寿初代社主が事務所を構えていたホテルニュージャパンの、一九八二年の火災の話を持ち出すと、それについて一番詳しいのは私だろうと言う▼同ホテルの火災は裁判になり、消防庁が罪に問われる恐れが出てきたため、裁判記録をはじめ膨大な資料を保管していたのが、その心配がなくなったので、整理する責任者に彼がなったのである。消防法には危険物施設の許可取消・使用停止命令があり、同ホテルの防火設備の不備を知りながら、消防庁がその命令を出さなかったということである▼早朝、興味深い話を聞いて宿を後にし、興福寺の境内を横切って近鉄奈良駅に向かおうとしたら、国宝館の「邂逅 志度寺縁起絵」の看板が目に入った。志度寺は天地子の近くにある四国八十八箇所霊場の八十六番札所で、藤原不比等が増築したとされる▼藤原鎌足の没後、唐の高宗に嫁いでいた娘が追善に三つの宝物を贈ったが、その一つが志度浦で竜神に奪われてしまう。玉を取り戻すため志度に来た不比等が、妻にし子をもうけた海女にその話をすると、海女は竜宮に潜り、乳房を切って玉を隠して持ち帰り、そのまま死んでしまう。寺の境内には、その海女の墓がある。藤原氏と讃岐の海民とのかかわりを示す伝承の一つ▼いつもながら、旅は余録が楽しい。鹿が鳴く奈良公園のハゼが赤く色づき始めていた。

[2018年10月10日付 天地]

 取材で熊本に行った折、元島原新聞記者の知人の案内で南島原市の原城跡を訪ねた。世界遺産に登録された効果で観光客が増え、休日には百人を超えるという。テント張りの土産物屋の女性の話。台風24号の接近で風が強く、難儀していた。そのうちしっかりした土産物屋が建つだろう▼思いがけない出会いは北村西望の天草四郎の像。「長崎平和祈念像」で知られる西望は、各所に彫刻を残しており、毎年春と秋に訪問する京都・山科の一燈園にある西田天香夫妻の路頭に立つ像もそう。最初に西望の作品を見たのは、京都・嵯峨のあだしの念仏寺で、観音像も多くまさに祈りの彫刻家である▼知人は郷土史として島原のキリシタン史を研究しており、島原・天草の乱は農民一揆ではなく、まさしく信仰を守る戦いの果ての殉教だったと熱心に語り続けた。各地に熱のある郷土史家のいる日本は素晴らしい▼天地子の郷土の近くにある小豆島は、小西行長の領土だった時代に四千人もが洗礼を受けている。島原の乱の後、荒廃した当地に幕命で入植した人もいて、親戚付き合いが今も続いていると話すと、さすが知人は既に知っていた▼一人になって島原城に行くと、天守の横に西望記念館があったので、そちらに先に入った。すると、長崎平和祈念像の原型があり、「(制作依頼を受けて)観音像や女神像も考えたが、やはり一番得意な男性の裸体にした」という西望の言葉が記されていた。旅は余禄が楽しい。

[2018年9月10日付 天地]

 猛暑が続いたおかげで、今年のコシヒカリは豊作だった。四月中旬に植えた苗を、八月のお盆明けに収穫。台風の襲来前に大急ぎで刈り取った。運悪く暴風と豪雨にさらされると、コシヒカリは田んぼに寝てしまい、コンバインを使うのに苦労する▼猛暑はイチジクにも幸いして、下旬には大量に熟したので、ジャムにしてあちこち配った。去年は二日ごとに煮たのだが、今年は連日。日暮れ前、実の見分けが付くまでにとり、夕食後に作って、朝まで冷ましておくのが日課になった▼山にえさがなくなったのか、イノシシが里に出没するようになった。あぜの横に水路があったりすると、そこで水浴びをした後が多く見られる。高松市の大名庭園・栗林(りつりん)公園にもイノシシが三頭現れ、観光客を驚かせているので、しばらく中断していたフェンス式のおりにぬかのえさまきを再開した▼近くの山の上にある数年前に廃校になった中学校が、統合された小学校として生まれ変わることになった。そこで問題になった一つがイノシシ。児童に被害が出ると大事なので、県と市が半額出すからと、校庭までの山ろくのフェンス張りを要請され、自治会で行うことになった。五年前は全額国の補助が出たのだが、それだけ財政が厳しいのだろう。自治会としての負担を住民にはかると、みんな賛成したのは立派だと思う。設置作業は来年二月になる。


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