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[2019年5月10日付 天地]

 令和の出典でにわかに人気が出ている万葉集に、豆を詠んだ歌が1首だけある。「道の辺の茨(うまら)のうれに、延(は)ほ豆の、からまる君をはかれか行かむ」。道端のうまら(ノイバラ)の先に絡みつく豆のように、私に絡みつく君をおいて別れゆく…という意味。天平勝宝7年(755)2月に、上総国(かずさのくに)の防人を引率する役人の茨田連沙弥麻呂(まむたのむらじさみまろ)が進上したとされる、防人に選ばれた丈部鳥(はせつかべのとり)が、「行かないで」と絡みつく妻との別れを悲しむ歌。令和の基になった梅の花の下での歌会は、唐侵略の危機が去り、防人が不要になった時代に催された▼万葉集に出てくる豆は野生のもので、野によく見られるカラスノエンドウかもしれない。そう思うのは、ここ数日、天地子は小麦畑のカラスノエンドウ抜きに悩まされたから。熟すると黒いさやからはじける実が小麦に入ると、等級が落ちてしまう。多すぎると、金のかかる色選機に掛けなければ出荷できない▼除草剤は散布したが、時期が遅かったらしい。土地が悪く、穂の薄い田んぼほど雑草が繁茂しているので、無駄な汗を流す思いにもなる▼そんなときこそ、これも修行だと、長く単調な作業に思いを込める。雑になると、自分の心を荒らしてしまう。健康長寿のための農業だと考えてもいい。しかし、5年、10年後にはどうなるのか。平均年齢が70代半ばの仲間のぼやきは絶えない。

[2019年4月10日付 天地]

 3月中旬、二つの自治会でお守りしている小さな祠のような地神(ぢじん)さんのお祭りが済むと、田植えに向けて田起こしの始まり。大型のトラクターを導入したので、オペレーター1人の作業で15ヘクタールが2日で終わった。天地子が子供のころの、牛を使っての作業に比べると驚異的な速さ▼4月中旬からコシヒカリを8ヘクタール植えるので、田んぼごとに堰を修繕する。排水口を数枚重ねた板とビニールで塞ぐ作業で、板は数年で腐るので取り換える。堰がコンクリート製だと簡単だが、畦土のままだと板を受ける杭を打ち込む。杭が腐っていると代えないといけない。これは5人で1日半かかった▼天地子の朝一番は愛犬との散歩。毎日コースを変え、田んぼの様子を見まわる。3月下旬には小麦が穂を出してきた。うどん用の小麦で、県の試験場と国立大農学部が開発した新品種。昔風の風味があり、オーストラリア産に勝てるとのうたい文句だが、まだ道は険しい▼先日、酒造会社との懇談会があり、県特産の酒米を増産してほしいとの依頼。ヒノヒカリを数枚減らし、酒米を植えることにする。宣伝にも力を入れるというので、期待したい▼自治会も役員が交代。4月に2校を統合した小学校が近くに開校することもあり、環境省の補助金を受け、環境整備や美化の活動を、里山クラブを設け、3年計画で実施することになった。忙しくなるが、子供たちの笑顔を見られるのが楽しい。

[2019年3月10日付 天地]

 駅のポスターに誘われ2月26日、伊豆急に乗って河津桜を見に行った。河津駅に着いたのは午後2時、駅は多くの人であふれ、駅前から桜並木が続いている。濃いピンクの桜の下に黄色い菜の花も満開で、若い女性たちが撮影に夢中。外国人が多く、スカーフの女性たちはインドネシアやマレーシアからだろう▼河津桜は1955年、静岡県河津町のある男性が、河津川沿いの雑草の中で1メートルほどの原木を発見し、庭先に植えたのが始まり。その後、新種と判明し「カワヅザクラ」と命名され、1975年に河津町の木に指定された▼河津川の堤防をはじめ町内全域に植えられたのは1968年からで、81年から毎年「河津桜まつり」が開催されている。河津駅近くの河口から河津川の上流に向かって「河津桜並木」が約3キロ続く▼桜の幹には地区名とナンバーを記したプレートが付けられ、丁寧に世話されている。桜並木の一番上流に「沢田ねはん堂」があり、1796年頃に作られた釈迦の涅槃像が祀られていた▼お堂横の丘に登ると、河津川の全景が見渡せる。感心したのは、登り坂の土止めやベンチに孟宗竹が使われていること。天地子も少しずつ竹林を切り開き、山に登る道を開いているのでまねしよう▼民俗学者の宮本常一は、渡りの大工だった父に、何でもない風景から町の景気などを知るすべを教えられ、やがて「歩く民俗学者」となった。経験を重ねた高齢期の旅は昔より面白い。

[2019年2月10日付 天地]

 天地子の自治会は平野の中の丘のような独立山の南にある。その丘の上にあった中学校が5年前に廃校になり、今年4月に新しい小学校が開校する。それに向けて作業しているのが、イノシシ除けフェンスの設置。市有地の中は市が行うが、そこまでは自治会の分担。暮れに市の職員と現地を踏査し、接合場所を決めた▼1月の第2日曜日から志願者を募って作業。35軒から約15人が集まったので、2チームに分け、軽トラでフェンスを運び、山すそに設置していった。フェンスに鉄の棒、ステンレスの針金など経費は100万円を超え、半額は県と市の補助、残りは地元の農事組合法人が負担し、自治会員は午前の3時間、3回の勤労奉仕▼イノシシが増えた一因は、山すその畑が竹林に変わり、エサのタケノコが大量に生えること。本来、人の手が入ってこその里山だが、燃料や肥料の変化で人が山に入らなくなり、山は荒れ、キノコも生えなくなった▼そこで天地子が取り組んでいるのが、竹林の整理。適度に竹を伐採してタケノコを掘りやすくし、旬の味覚を知人に配る。今年、自治会で始めるのは、耕作放棄地にヒマワリなどを植える環境改善。国と県、市から補助金が出る▼少子高齢化でもふるさとを維持するには、きめ細かな施策と郷土愛が求められる。亥年にイノシシを排除するのは申し訳ない気もするが、子供たちの笑顔が見られるのが楽しみだ。

[2018年12月10日付 天地]

 先日亡くなった本紙記者・池田年男さんのことで思い出すのは二〇一三年、京都・東山の同志社墓地での遭遇。新島襄と八重の墓参りをし、山を下りかけて振り返ると、坊主頭の年配の男性が襄の墓に手を合わせていた。これはいい絵になると撮影し、振り返った顔を見ると池田さんだった▼同志社の卒業生なので、毎年、墓参しているという。後に、他紙の日曜版に、遺作となる高山右近の評伝小説を連載したことからも、キリスト教への深い思い入れがあったのだろう▼その挿絵を担当した画家で出版社社長の越智俊一さんが寄せた追悼の言葉に、「右近の生涯を余すことなく表現したその文章はすばらしく、何度も胸を打たれたものです。…マニラでその生涯を閉じた右近の最期の言葉は、『我が魂は主を仰ぎ見にゆく』でした。池田さんは、右近の後を追ったように思えてなりません」とあった▼池田さんは天地子が京都の大学で二年の時、同志社に入っているので、同じ学園紛争を共有し、影響を受けた。池田さんが昭和四十八年に参加し、共感したという政治講演会に、天地子がスタッフとして携わっていたのも不思議な縁▼本紙も少しかかわったお東さん騒動で分裂し、その後、嵯峨本願寺を開いた大谷光道住職に取材し、記事を書いてくれたのにも因縁を感じる▼毎号、良質な記事を当たり前のように送ってくれた池田さんのような人が、この国と社会を支えているのだ。さわやかな印象を残して逝った同志を、今は懐かしく思い出している。

[2018年11月10日付 天地]

 奈良で泊まった宿で、元東京都消防庁の消防士で奈良出身の男性と知り合った。そこで、本紙の松下正寿初代社主が事務所を構えていたホテルニュージャパンの、一九八二年の火災の話を持ち出すと、それについて一番詳しいのは私だろうと言う▼同ホテルの火災は裁判になり、消防庁が罪に問われる恐れが出てきたため、裁判記録をはじめ膨大な資料を保管していたのが、その心配がなくなったので、整理する責任者に彼がなったのである。消防法には危険物施設の許可取消・使用停止命令があり、同ホテルの防火設備の不備を知りながら、消防庁がその命令を出さなかったということである▼早朝、興味深い話を聞いて宿を後にし、興福寺の境内を横切って近鉄奈良駅に向かおうとしたら、国宝館の「邂逅 志度寺縁起絵」の看板が目に入った。志度寺は天地子の近くにある四国八十八箇所霊場の八十六番札所で、藤原不比等が増築したとされる▼藤原鎌足の没後、唐の高宗に嫁いでいた娘が追善に三つの宝物を贈ったが、その一つが志度浦で竜神に奪われてしまう。玉を取り戻すため志度に来た不比等が、妻にし子をもうけた海女にその話をすると、海女は竜宮に潜り、乳房を切って玉を隠して持ち帰り、そのまま死んでしまう。寺の境内には、その海女の墓がある。藤原氏と讃岐の海民とのかかわりを示す伝承の一つ▼いつもながら、旅は余録が楽しい。鹿が鳴く奈良公園のハゼが赤く色づき始めていた。

[2018年10月10日付 天地]

 取材で熊本に行った折、元島原新聞記者の知人の案内で南島原市の原城跡を訪ねた。世界遺産に登録された効果で観光客が増え、休日には百人を超えるという。テント張りの土産物屋の女性の話。台風24号の接近で風が強く、難儀していた。そのうちしっかりした土産物屋が建つだろう▼思いがけない出会いは北村西望の天草四郎の像。「長崎平和祈念像」で知られる西望は、各所に彫刻を残しており、毎年春と秋に訪問する京都・山科の一燈園にある西田天香夫妻の路頭に立つ像もそう。最初に西望の作品を見たのは、京都・嵯峨のあだしの念仏寺で、観音像も多くまさに祈りの彫刻家である▼知人は郷土史として島原のキリシタン史を研究しており、島原・天草の乱は農民一揆ではなく、まさしく信仰を守る戦いの果ての殉教だったと熱心に語り続けた。各地に熱のある郷土史家のいる日本は素晴らしい▼天地子の郷土の近くにある小豆島は、小西行長の領土だった時代に四千人もが洗礼を受けている。島原の乱の後、荒廃した当地に幕命で入植した人もいて、親戚付き合いが今も続いていると話すと、さすが知人は既に知っていた▼一人になって島原城に行くと、天守の横に西望記念館があったので、そちらに先に入った。すると、長崎平和祈念像の原型があり、「(制作依頼を受けて)観音像や女神像も考えたが、やはり一番得意な男性の裸体にした」という西望の言葉が記されていた。旅は余禄が楽しい。

[2018年9月10日付 天地]

 猛暑が続いたおかげで、今年のコシヒカリは豊作だった。四月中旬に植えた苗を、八月のお盆明けに収穫。台風の襲来前に大急ぎで刈り取った。運悪く暴風と豪雨にさらされると、コシヒカリは田んぼに寝てしまい、コンバインを使うのに苦労する▼猛暑はイチジクにも幸いして、下旬には大量に熟したので、ジャムにしてあちこち配った。去年は二日ごとに煮たのだが、今年は連日。日暮れ前、実の見分けが付くまでにとり、夕食後に作って、朝まで冷ましておくのが日課になった▼山にえさがなくなったのか、イノシシが里に出没するようになった。あぜの横に水路があったりすると、そこで水浴びをした後が多く見られる。高松市の大名庭園・栗林(りつりん)公園にもイノシシが三頭現れ、観光客を驚かせているので、しばらく中断していたフェンス式のおりにぬかのえさまきを再開した▼近くの山の上にある数年前に廃校になった中学校が、統合された小学校として生まれ変わることになった。そこで問題になった一つがイノシシ。児童に被害が出ると大事なので、県と市が半額出すからと、校庭までの山ろくのフェンス張りを要請され、自治会で行うことになった。五年前は全額国の補助が出たのだが、それだけ財政が厳しいのだろう。自治会としての負担を住民にはかると、みんな賛成したのは立派だと思う。設置作業は来年二月になる。


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