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[2018年9月10日号 社説]

尾畠さんを日本社会の光明に

 山口県周防大島町で行方不明になっていた二歳児、藤本理稀ちゃんを発見した尾畠春夫さん(78)は、多くのメディアで「スーパーボランティア」「超人高齢者」として賞賛され、NHKの「日曜討論」でも取り上げられるほど話題になった。  尾畠さんはこれまでも東日本大震災や熊本地震、西日本豪雨など数々の被災地に「ボランティア」として参加し、尽力してきた実績と経験を持ち、砂袋には半分以上砂を入れないことなど、そのノウハウを周りの人たちに惜しみなく分かち合っている。
 その尾畠さんの願いは、ご自身の行動が「生き方」として参考にされることだという。人生百歳時代、超高齢社会を迎える日本の一つの光明として、尾畠さんの生き方に学びたい。
●現役時代から始める
 日本には無数の尾畠さんがいることは、少し周りを見渡してみると分かることである。暮らしにゆとりができた高齢者の人たちが、時間と体力、知力を地域のために投入している。それは伝統的な日本社会で当たり前の風景でもあった。だから老人は尊敬され、あんな風に老いていきたいと、若者たちは思っていた。
 それが、いつの頃からか、「老い」は否定的にしか語られないようになった。高齢者自身もその影響を受け、社会のお荷物であるかのように思っている。「終わりよければすべてよし」の反対で、これでは人生は悲しいものになってしまう。
 尾畠さんは六十五歳まで鮮魚店を経営していた元魚屋さん。現役時代から登山が趣味で、登山道の整備やベンチの補修をボランティアで始めたのが、現在のスーパーボランティアの原点だという。積極的な活動を支える体力は、長年の力仕事や山登りによって培われてきたのであろう。
 長寿が幸福に直結するわけではない。健康長寿でないと、いたずらに身の不幸を嘆く晩年になってしまう。もっとも、生きているだけで幸福になる道はあり、「顔施」というように、世話してくれる人への感謝の笑顔を忘れないようにしたい。
 大事なのは、体力のある現役時代からボランティア的な生き方をすることだろう。忙しいからできないのではなく、忙しいからこそやるのである。そこに自身の成長があり、発展が生まれる。
 少し考えてみると、私たちは社会から限りない恩恵を受けている。暮らしのインフラの大部分は、知らない人たちの力で支えられている。それを負担に感じなくていいのも、今の社会の素晴らしさだろう。そして、自分も社会を支える一員なのである。
 日本人は倫理観として「無私」を大事にする。一万年に及ぶ縄文集落での共同生活で培われたうえに、近代に通じる米作で日本人の心は磨かれ、さらに仏教で理論づけされた。日本に渡来した大乗仏教は、インド、中国を経て、利他行を旨としていた。それが自分の救いにつながると信じ、例えば奈良時代に行基に従った人たちは、幾多の社会インフラの建設に携わった。
 鎌倉仏教の極致とも言える親鸞は絶対他力を説いたが、それは「すべて人のために」の教え。近代のボランティアは自発的な行為を意味するが、絶対自力は絶対他力に通じているのである。そうした教えを血肉としてきたのが日本人であり、戦国時代や幕末維新に来日した外国人たちを驚かせたのも無理はない。
●自分を成長させる
 尾畠さんのような老人になるには、人生の目標を自分自身の成長に置くことであろう。自分の行為で人が喜べば、そこにつながりができる。人間とは本来開放系であり、多くの人の生き方を取り込むことで、精神的にも肉体的にも成長していく。そこに価値を置くような高齢社会にしていきたい。
 だから若い人たちには、例えば七十代になった自分を想像しながら、今を生きてほしい。それをゴールデンディケードにするか否かは、今の生き方が決めるのだから。既にそれ以上の年齢になった人たちには、取り返しの出来ない過去を悔いるより、今を充実させてもらいたい。



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