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[2018年4月5日号 社説]

働き方改革は生き方の改革

 政府が進めている働き方改革では、長時間に及ぶ残業の抑制や同一労働同一賃金の実現、ワーク&ライフのバランス、それらによる生産性の向上などが議論されているが、人生百歳時代を迎えてもっと重要なのは、国民一人ひとりの生き方の改革であろう。そのレベルにまで議論が深まらないと、所期の目的は達成されないように思う。
 全国を訪ねると、市街地商店街の衰退、耕作放棄圃場の拡大、竹林に覆われたり、植林されないまま放置された山などが目立つ。少子高齢化や過疎化の浸透で、地域社会の維持が難しくなっているからである。もっともそうした事態は、長年にわたる経済効率に重点を置いた国づくりやまちづくり、国民の人生設計の結果である。
●人生100歳時代
 高齢化に伴い定年が延長されつつあるが、それでも退職後、二十年から三十年、多くの人が生き続けることになる。終わり良ければすべて良しと言われるように、人生の最終期を幸福に過ごしたいというのは国民誰もの願いである。それに反応してか、保険会社では八十歳以上、あるいは終身の保険商品を売り出している。
 暮らしの基本は経済であるから、困らずに暮らせるだけの貯金や収入を確保したいと願うのは無理もない。しっかりした職場であれば、それを見通した年金制度を用意しているであろうが、それらに守られない人も多い。中には若いころに好きな生き方を優先し、将来のことなど考えなかったという人もいるだろう。
 指導者や経営者の中には、従業員の将来計画など考えず、彼らの今の力を利用して利益を得ることに熱心な人も多い。それらに影響されないセーフティーネットの一つである国民年金は、暮らしを支えるにはあまりにも少なすぎる。
 多くの人は、そうした事態になってから愕然とするのだが、半分は自分の責任であることを認めないといけない。大企業にしても、今は会社を維持するため、平気でリストラを行う。要は自分の身は自分で守るため、生き方からの見直しをするしかないのである。
 簡単な事実だが、昔から人は共同体の中で生まれ、育ち、働き、死んできた。その共同体には自然環境も含まれる。では、自分はその共同体をどれだけ守ろうとしてきたであろうか。定年後、故郷に帰った人たちが等しく感じるのは、懐かしさと共に故郷の衰退である。そこで経済や体力に余裕のある人は、地域のために何かできないかと考えるようになる。
 そこで反省するのは、働き盛りの時に、どうして地域に目を向けなかったかである。職場での活動も地域貢献の意味があるが、もっと直接的に地域社会が求めている活動は多い。その多くは、ある程度の体力や技術、経験を要する。若いころから地域社会で一定の役割をはたしていれば、定年後に地域デビューする必要はない。本来、日本の共同体は、祭りに見られるように、各年齢層の参加によって維持されてきた。そして共同体の活動を通し、人々は成長してきたのである。
 教育にしても、家庭だけでは不十分で、地域で子育てする文化が不可欠である。子供の非行を見たら、知らない子でも注意するような社会でないと、健全育成はできない。そんな地域社会が根底でこの国を支えているのである。
●アグリセラピー
 香川県高松市五色台にある曹洞宗の寺が主宰する喝破道場は、問題を抱えた子供たちの立ち直りや、引きこもりの若者たちの社会復帰を支援する活動を行っている。そのための活動の一つが、ハーブの栽培、製品化、販売など。とりわけ、農作業には人の心を回復する効果があるそうで、それをアグリセラピーと呼んでいる。
 人は大地に接し、向き合うと、健康になるという。同じようなことは、養老孟司氏も言っている。テレワークなどで多様な働き方が可能になった今、例えば、農に親しみながら、IT関係の仕事をすることも可能である。地域としてそれを実現しているのが、サテライトオフィスの誘致で成功している徳島県神山町。清流が流れる山の中で、作業効率も上がるという。
 そんな経験も踏まえながら、生き方の見直しとして働き方を変えたいものである。その際、各地にある宗教施設が大きな可能性を秘めているように思う。



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