横浜の総鎮守、伊勢山皇大神宮の例祭/横浜市

皇室、国家の安寧と横浜の繁栄祈る

国旗掲揚塔の前で整列する阿久津裕司伊勢山皇大神宮宮司、小澤修二箱根神社宮司以下祭員

 横浜の総鎮守、神奈川県横浜市の伊勢山皇大神宮(阿久津裕司宮司)で5月15日、例祭が斎行され、新型コロナウイルス感染症対策が行われる中、多くの参列者が集い、盛大に執り行われた。
 15日午前10時、斎主(阿久津裕司宮司)、献幣使(小澤修二箱根神社宮司・神奈川県神社庁長)以下祭員が国旗掲揚塔前から参進、祓い所で修祓の儀、斎主、献幣使以下祭員が本殿の所定の座に着いた。次に斎主一拝、御扉を開いた後、神饌を供し、神社幣を献じた。奉賛会代表(堀尾伸一)が初穂を献じた後、斎主が祝詞を奏上した。続いて神社本廳からの幣帛が奉幣され、献幣使が祭詞を奏上した。2人の巫女が、創建150年を記念して創作された祭祀舞「伊勢山の舞」を奉奏。宮司、そして献幣使が玉串を奉って拝礼し、責任役員、来賓、参列者がそれに続いた。本廳幣・神社幣・奉賛会初穂・神饌が徹せられ、斎主は御扉を閉じ、本座に着いた。斎主一拝し、例祭は滞りなく修められた。
 阿久津宮司が挨拶し、「皆様にご参列賜り、盛大かつ厳粛にこの例祭を斎行できたことを厚く御礼申し上げる。昨年はコロナ禍の中、皆様方にご支援いただき、創建150年奉祝大祭を無事に執り行うことができた。記念事業により、本殿をはじめ伊勢山皇大神宮が横浜総鎮守として整えられ、大神様の御神意が高まったと感じている。コロナ禍で通常通りの行事は難しいが、祭典を以前に近いかたちで行った。一年に一度の例祭はより神様との強い御神縁を結ぶものだ」と述べた。
 献幣使の小澤宮司は「日本人は今も昔も神を祀り、神と共に生きて来た。鎌倉時代から江戸時代まで続いた武家の御成敗式目の第1条には『神社を修理し、祭祀を専らにすべき事』とある。伊勢山皇大神宮はこの言葉通り、真っ直ぐに進んでいる。また、『神は人の敬ひによつて威を増し、人は神の徳によつて運を添ふ』ともあり、本日の例祭はまさにこの言葉を具現化したものだ」と語った。

伊勢山皇大神宮創建150年を記念し創作された「伊勢山の舞」の奉奏


 創建150年奉祝大祭で初めて披露された「伊勢山の舞」は、同宮創建100年に際し、奉賛会の総裁であった明治天皇第九皇女の東久邇聡子様が詠まれた和歌に、元宮内庁式部職楽部主席楽長の池邊五郎氏が作曲と作舞をしたもの。舞を奉奏した巫女の装束は、同宮の再興と発展の立役者である池田正宏前宮司より奉納された。水と桃色のあざやかな舞装束の意匠は、伊勢山の桜と横浜の海を表現している。
 伊勢山皇大神宮は明治3年、横浜の象徴となり、人々の心の拠り所となるものとして、神奈川県により創建された。明治4年4月15日に社殿と境内施設が竣工し、正遷宮が執り行われた。伊勢神宮より勧請されたと伝わる古社を再興し、横浜総鎮守として祀るにあたり、神奈川県は5日間にわたる盛大な祭礼を執り行った。その総費用は15万両に及んだが、これを聞いた当時の外務卿が、「外務省の半年の予算に匹敵する」と驚いたという。